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長嶋茂雄の伝説と名言そして珍エピソードの陰に隠された不屈の闘志!

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長嶋茂雄さんと二人きりで会話したのは1991年の秋だったように記憶しています。

つま先から頭のてっぺんまでオーラがあふれ出て圧倒されてしまったものです。

 

このころ長嶋茂雄さんはいわゆる充電中でした。

1972年に現役を引退し、コーチ経験のないままその年にジャイアンツの監督に就任します。

 

6年間監督を務めて退団してから、数年がたっていました。

長嶋茂雄さんと二人っきりで話したのは、静岡県のザ・ナショナルカントリークラブの

練習場でした。

 

松林に囲まれて全ホールから富士山が望める国立公園内にゴルフ場はありました。

早朝の練習場にいたのは長嶋さんと私と研修生の3人だけでした。

 

「凄い!長嶋さん300ヤードは飛ぶんじゃないですか」

思わず声をかけてしまうほど素晴らしいショットを連発します。

 

「いやー、240ヤードがいいところですよ。

こちらのメンバーさんですか?」

 

この日はザ・ナショナルCCの開場記念杯と銘打って、コース開場以来初めて行われるメンバーだけのコンペだったのです。

 

費用はすべてゴルフ場負担で、希望者は奥さんを同伴できるという、今では考えられない催しでした。

長嶋さんはどうやらオーナーの特別ゲストで参加するようです。

 

ベージュのスラックスに緑のセーターを着こなし、Vネックから覗くゴルフウェアの白い襟からは、実にスマートでさわやかな印象を受けたものです。

 

いやー、本当に格好良かったですよ。

だから、あれから何十年もたつのにスラックスからセーター、ゴルフウエアまではっきり覚えているのです。

 

会話したのはわずかの間でしたが、質問には面倒くさがらずきちんと答えてくれて、とても気づかいのできる人だと感心したことを今でもよく覚えています。

 

「世間の評判とははちょっと違うなあ」

そんな印象を持ったものです。

 

しかし、それにしても『長嶋茂雄』は偉大です。

ジャイアンツの監督を辞任し、充電中だったのですが二人の会話を聞いていた20歳前後と思われる若い研修生が、直立不動で長嶋さんをじっと見つめていたのには驚きました。

 

彼の年齢なら、長嶋さんの現役時代などあまり知らないはずですが、それでも最大限の敬意を

表しての直立不動ですから、本当にすごい人なんだなあと改めて思わずにはいられませんでした。

 

さて、長嶋茂雄さんの驚くべき真価が発揮されるのはこの後のことです。

プレーが終わりクラブハウス内でパーティーが開催されました。

 

明かりが落とされた会場へ、コースのオーナーがゲストを従えて入場してきます。

3人はスポットライトを浴びてレストランの特設ステージへ登ったのですが、長嶋さんだけが異様な存在感を放っているのです。

 

他の二人のゲストがまるで霞んでしまうのでした。

二人のうち一人はゴルフが上手いことで知られる俳優の小林旭。

そして、もう一人は元女優で参議院議員の山東昭子です。

 

しかし、招待客のほぼ全員の目が長嶋茂雄さん一人に注がれて会場は一時的に騒然となってしまうほどだったのです。

 

朝の練習場で会っていたから、私は長嶋さんがいることは知っていましたが他のメンバーは知らなかったのです。

それにしても、この人気と注目度、そして存在感には本当に驚くばかりでした。

 

小林旭だって一時は日活で石原裕次郎さんと人気を二分した映画界の大スターです。

その大俳優がかすんでしまうのですから、表現する言葉が見つからないほどの存在感とスター性に満ち溢れていたのです。

 

長嶋茂雄さんはジャンルを超えて昭和が生んだ最大のスーパースターだと、改めて認識させられたものです。

 

ざわめきが落ち着いて、ゲストの成績が発表されましたが、ここでもまた、どよめきと感嘆の声が上がりました。

 

長嶋茂雄さん71、小林旭が72のスコアだからどよめきが上がるのも当然のことです。

ここでゴルフをやらない方へ簡単に説明します。

 

ワンラウンド71とか72の数字は、下手なプロゴルファ顔負けのスコアなのです。

山東昭子のスコアは発表されなませんでしたから、こちらはおそらく『参加することに意義がある』

タイプなのでしょう。

 

偉大なる長嶋茂雄さんの話はまだまだ終わりません。

表彰式や挨拶も終わりパーティが懇談に移って間もなく、コンペで同伴したご婦人が突然、私に言い寄ります。

 

「長嶋さんが巨人の監督を引き受けるかどうか聞いてきて。

今朝お話したんでしょ」

 

驚くほど真剣な顔でした。

話を聞く彼女は長嶋さんの1年後輩で立教大学の3年間は長嶋茂雄選手の追っかけをしていたのだと言います。

 

私もかなりの長嶋ファンでしたが、この時点では巨人の監督に復帰すると言う情報は寝耳に水でした。

再三催促されましたが、聞きに行ったところでまともな答えを得られるはずもありません。

 

その場は何とか受け流したのですが、後日ビックリすることになるのです。

ザ・ナショナルCCの開場記念コンペが終了してからしばらく経ち、長嶋茂雄さん追っかけのご婦人のことも忘れかけたころでした。

 

スポーツ新聞の見出しに目を奪われたのです。

『長嶋茂雄氏、巨人監督に復帰!』一面にデカデカと写真と大きな文字が躍っているではありませんか。

 

「長嶋茂雄さんの追っかけ恐るべし!」

そう思わずにはいられませんでした。

 

それにしても長嶋茂雄さんは不思議な人です。

何が不思議かと言えば、あれほどのオーラを放ちながら選手時代や監督時代には

「え~っ、うそでしょう!?」

と思うような数々のエピソードを残しています。

 

これもまた、長嶋さんの一面です。

もう一つの真実も披露しておきましょう。

 

教えてくれたのは黒江透修さんです。

黒江さんと言えばジャイアンツで長嶋さんと三遊間コンビを組んだV9戦士の一人です。

 

長嶋さんの監督時代もコーチとして支えています。

ですから付き合いがとても長く、面白エピソードをこれでもかというほど知っているのです。

 

その中からいくつか紹介しましょう。

選手時代の話です。

 

真夏の後楽園球場でデーゲームがあり、選手は打撃練習をしていました。

打撃練習の順番は、だいたい決まっていて、長嶋選手は黒江選手の次に打つことが多かったようです。

 

ある日、黒江選手の次に長嶋選手がバッティング練習を開始しました。

いつものように黒江選手は長嶋選手のバッティングを見守ります。

バッティングを終えた長嶋選手が

「今日は特別に暑ないなあ」

と言いながら、傍らにあったグショグショのタオルで汗を拭きました。

 

「チョーサン、それ俺の使ったタオルだよ」

「あ、そう、これクロちゃんの使ったやつだったの」

そう言って、何事もなかったように引き上げていく長嶋選手でした。

 

黒江さんは言います。

「いや、本当にあの人の集中力は、ちょっと異常だよ。

練習でも試合でも野球に没頭したら、他のことは何も覚えていない」

 

こんなこともあったそうです。

ジャイアンツのV9時代のことでした。

 

その頃の地方遠征は旅館に泊まることが多かったのだそうです。

それで、旅館からバスタオルが与えられるのは川上監督唯一人というところもあったのだとか。

 

風呂から上がってきた川上監督がバスタオルで身体を拭こうとしたが、どこにもない。

「誰だ、俺のバスタオルを使ったのは」

川上監督が怒鳴ります。

 

「あ、これ監督のだったのですか?」

長嶋茂雄さんがあの特徴ある甲高い声で言います。

 

「なんだ、シゲが使ったのか」

勝負の鬼と恐れられた川上監督も、長嶋茂雄さんだけは怒れなかったのだと言います。

 

監督時代のエピソードを一つ。

やはり地方遠征の時のことでした。

 

朝食を終え出かける支度をしている時でした、黒江コーチと土井コーチが監督の部屋へ呼ばれます。

何かと思えば

「俺の靴下が片方見えないんだ。ちょっと一緒に探してくれ」

 

3人で懸命に探しましたが見つかりません。

土井コーチが長嶋さんの足をジーっと見つめます。

「監督、片方の足に両方はいていません?」

 

「お、なんだこんなところにあったのか。よし、じゃ出かけよう」

これはすべて本当の話です。

黒江さんはとてもまじめな方です。

 

何度もゴルフをしたり、時にはカラオケまで一緒に行ったことがあります。

酒が入っても決して話を盛るようなタイプでもありません。

 

長嶋茂雄さんのエピソードは本当に面白くてやはり凡人とは桁が違います。

さて、長嶋茂雄さんは2021年の東京オリンピックで聖火ランナーを務め、スポーツ関係者としては史上二人目という文化勲章まで受賞しました。

 

一度は命が危ぶまれるほどの大病に見舞われましたが、文字通り涙と血のにじむリハビリを経て見事復活を果たしました。

 

病から復活した時の言葉がこれです。

「人生を諦めるなんて楽しくない」

「どんな困難とも闘い、目標に挑む」

 

素晴らしい言葉です。

感動し、そして心から敬服します。

 

天才でもあり、努力の人でもある長嶋茂雄さんほど

『不世出』という言葉が合う人は他にいません。

 

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