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高田純次の伝説は国際的スケールで指名手配や入国禁止令まで出されたって本当?

波乱の人生

高田純次と言えば『5時から男』『ミスター無責任』『日本テキトー男』などと呼ばれ無責任とテキトーがトレードマークとされています。

 

テレビで言っていることも実にテキトーで、いい加減です。

例えば「オレはフランス語がペラペラなんだけど、意味はわからないん」なんて、本当に意味の分からないことを平気で言います。

 

そうかと思えば「キミ、新垣結衣に似てるって言われない?言われないの?じゃあ、似てないんだね」などなど、実にテンポよくテキトー語が飛び出します。

 

彼自身「テレビでテキトーキャラを演じているうちに、本当にテキトーになってしまった」と言っています

果たしてそれが本心でしょうか?

 

彼がこれまで残してきた、数々の伝説を見ていきましょう。

その国際的なスケールには、あきれるやら、驚くやらです。

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苦労人の高田純次がテレビで見せた涙とは?

高田純次は苦労人だ。

高校卒業後、弁護士を志して明治大学・青山学院大学法政大学・中央大学を受験しますがことごとく不合格だった。

 

今度は方針を変えて一浪し、東京藝術大学・武蔵野美術大学・多摩美術大学・日本大学芸術学部などの美大系や成城大学を受験するのですが、これまた、いずれも不合格となり涙をのみます。

 

最終的には東京デザイナー学院グラフィックデザイン科へ進学しました。

その後、自由劇場の舞台を見て俳優を志したのです。

 

自由劇場に1年間在籍した後、会社員を経験し、1977年には再度俳優を目指して『劇団東京乾電池』へ入団します。

 

彼はこの時すでに結婚していて、妻子がありました。そのため劇団だけでは食っていけないので、「警察に捕まるようなこと以外の職は、一通りやった」ようです。

 

32歳の時にようやく『笑点』でテレビデビューを果たすという遅咲きでした。

高田純次を一躍スターダムに押し上げたのは1988年から放映された『グロンサン』のCMです。

 

CMのキャッチコピー「5時から男」が大受けして新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞しています。

 

この3年前の1985年4月に始まった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演し高田純次の人気は上昇していました。

そこにグロンサンのコマーシャルが放映され相乗効果によって、彼の人気は沸騰します。

 

高田純次の本質が垣間見えたのも『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』です。

この番組で「勉強して東大に入ろうね会」が企画されます。

高田純次のテキトーに隠された真の姿と起こった悲劇とは?

その名の通り、受験生たちが東京大学合格を目指して勉強する姿に密着した企画です。

高田純次さんは企画の司会進行役を担当します。

参加した受験生の一人にニ浪の広瀬伸哉(しんや)さんという学生がいました。

 

広瀬伸哉さんは一本気で愚直を絵にかいたような性格です。

そして、ちょっと隙のある好青年でした。

 

企画では高田純次が度々、広瀬さんの勉強を邪魔します。

いつしかそのシーンが番組のウリになっていました。

 

回を重ね、ついにシリーズ最終回がやってきます。

受験も終わり、いよいよ東大合格発表の日を迎えたのです。

 

番組に参加した五人の受験生たちは東京大学本郷校舎校門前に集められました。

一人ひとり、合格発表の掲示板を確認しにいきます。

広瀬伸哉さんはラスト五人目です。

 

一人目は合格。

二人目も合格。

三人目も四人目も、みごと合格でした。

 

そしてとうとう、広瀬伸哉さんの番がやってきます。

自分の受験番号と掲示板の番号を真剣な眼差しで照らし合わせる広瀬さん。

 

しかし無情にも、彼の番号はありませんでした。

あまりの無念に顔を歪める広瀬さんの目から悔し涙がとめどなく溢れます。

 

ついには、立っていることさえままならず、地面に突っ伏してしまうほどのショックを受けたのです。

そんな打ちひしがれた広瀬伸哉さんの前に現れたのは高田純次でした。

 

「ダメだったか」と静かに言葉をかけます。

「すいません」と何度も頭を下げる彼の肩にそっと手を回しました。

 

片手をポケットに突っ込んだまま、高田純次は優しく彼を抱きしめたのです。

「自信あったのに」

「あんなに応援していただいたのに」

 

黙って話を聞いていた高田純次の目から幾筋も涙がこぼれ落ちていました。

現役、一浪時代とすべての受験に失敗している高田純次には、広瀬伸哉さんの気持ちがいたほど伝わったのでしょう。

 

テキトー男がテレビで見せた初めての真剣な顔と流れ落ちる涙は、全国の視聴者に大きな衝撃を与えました。

 

その後、広瀬さんは合格していた慶応大学へ進学します。

企画が終わり、番組のスタジオに招かれた広瀬さんは、たけしから「大学でやりたいことはないの?」と問われて、「スキーをやりたい」と答えます。

 

その放送から8年後のことでした。

信じられないような悲劇が起こります。

 

スキーに出かけた広瀬さんはコース脇の立ち木へ激突し、28歳の若さで帰らぬ人となってしまったのです。

高田純次は広瀬さんの葬儀に参列し号泣したと伝えられています。

高田純次はシビアであるが、気遣いができる人情家でもある?

「説教、自慢、昔話をしない」

そんなルールを自身に課していると、高田純次は以前から語っていました。

 

ある年齢に達した成功者の多くは説教、自慢、昔話をやってしまうものです。

それを抑えることが信条とは、テキトー男のイメージと大きくかけ離れています。

 

高田純次の代表作に西村京太郎トラベルミステリーの亀井刑事役があります。

このドラマなどで数多く共演している高橋英樹さんは、彼をこのように評価しています。

「芝居に関しては、とにかくすごく真面目です」

 

バラエティ番組でのちゃらんぽらんな姿とは全く正反対の顔を見せると言っています。

素はかなり真面目なおじさんなのでしょう。そして、努力家でもあると思われます。

 

70歳すぎてもメデアで引っ張りだこなのですから、ちゃらんぽらんな訳はありませんね。

実はとても勤勉で誠実な性格だと言われています。

ですから長い間ファンから愛され、芸能界の同業仲間からも慕われているのでしょう。

 

こんな実話もあります。

高田純次が代表を務める芸能事務所のテイクワン・オフィスに所属していた女性タレントが言っていました。

 

年に1度のギャラ交渉のときだけ、高田純次さんは社長になり切るといいます。

テレビのバラエティ番組とはまるでキャラが変わってしまうらしいのです。

 

普段の飄々とした様子やチャラチャラした言動は影を潜め、冗談など一切言いません。

それどころか、少し怖い目で話し合いに臨むのだといいます。

 

若い時から受験にことごとく失敗し叩きのめされ、芸能界では下積み生活も長かった高田純次です。

人情味もあれば厳しさもある、それが、ただ軽い面白さだけでなく、深みと味わいのある芸風を作り上げたのでしょう。

 

お笑い系の芸能人には高田純次を目標としたり理想とする人が多くいます。

関根勤もその一人で、娘の関根麻里が理想の男性に高田純次さんを挙げた時は、してやったりの表情を見せていました。

「俺の目に狂いはなかった」そう言って喜んでいたものです。

 

また、その人情味に好感を抱く人も多くいます。

高嶋ちさこが帰国し芸能活動を開始する際には、いち早く、自分の番組で彼女が演奏する曲を採用しました。

 

そして帰国したばかりの高嶋さちこに声をかけます。

これが決め手となり、高嶋さちこは大手ホリプロからのオファーを断り、高田純次さんが代表を務めるテイクワン・オフィスと契約したのです。

高田純次のテキトーは国際的なスケールの伝説を残した!

高田純次を少し褒めすぎたかもしれません。

ここで一つ、彼のテキトーさが世界的スケールであることも紹介しておきましょう。

本当に面白くて、伝説ともいうべきエピソードに迫ります。

 

彼がブレークするきっかけとなった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』では「早朝バズーカ」という企画が大人気でしたね。

 

高田純次が朝早くにバズーカを鳴らしてターゲットを驚かせる企画です。

これが日本では大人気になります。

 

オーストラリアのテレビ番組に出演した日本人留学生が、

「高田純次が日本の代表的コメディアンです」

と紹介したことがキッカケで、高田純次さんがその番組に出演することになったのです。

 

番組に登場した彼は、いきなり司会者に向けてバズーカを放つなど、いつもの破天荒さを発揮します。

そして、司会者から「早朝バズーカ」をお願いされると、夜の街に繰り出してあろうことか、一般人の家でバズーカを放つなど大暴れします。

 

あまりの騒音に近所から通報されてパトカーが出動する騒ぎとなったのです。

のちに住民から騒音被害で訴えられて、オーストラリアで指名手配されたと言われています。

ですが、その後も高田純次はロケなどでオーストラリアに行ってますが、逮捕はされていません。

 

例のテキトーを発揮して、オーストラリアでも世間を騒がせたことは事実ですが、指名手配は眉唾でしょうね。

それとも、オーストラリアの警察もテキトーなのかな。

 

そして、もう一つ高田純次ならではのテキトーが韓国で行われていました。

「元気が出るテレビ」で韓国ロケに行った際、ソウルの名門女子大前でいつもの調子で

「あなたは処女ですか?」と質問したのでした。

 

その女子学生のなかに韓国政府関係者の娘がいたというではありませんか。

こんな質問を女子学生にぶつけるなど失礼千万であり、韓国の儒教文化を軽視していると韓国政府に目をつけられてしまったのです。

 

高田純次は、韓国のブラックリストに載り5年間の入国禁止令が出されたといいます。

こちらはどうやら、本当の話のようです。

 

いやはや、ここまでくるとテキトーのスケールは桁違いです。

スゴイですね、彼の残した伝説は国際的と言えます。

 

もう海外は結構ですから、まだまだ、高田純次には日本国民を楽しませていただきたいものです。

がんばれ、テキトー男!

 

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