役所広司の映画賞受賞歴がスゴイ!
1997年に主演を務めた今村昌平監督の映画『うなぎ』が、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し彼は海外でも通用する俳優であることが証明されました。
そんな役所広司も劇団時代の若いころは苦労が多く、生活はどん底。
彼を語るうえで欠かせないキーワードは『真剣』。
これまでの歩みを追ってみました。
役所広司は若かったころ公務員の安定を捨てて役者の道を選択した!
映画賞抜きで役所広司の素晴らしい俳優人生を語ることはできません。
役所広司は1988年『オーロラの下で』に出演し日本アカデミー賞の優秀主演男優賞に輝きます。
これが彼の初受賞でした。
そして1995年には『KAMIKAZE TAXI』で毎日映画コンクール主演男優賞を受賞します。
役所広司の勢いは止まりません。
1996年公開の主演映画『Shall we ダンス?』が大ヒットするのです。
この年は『シャブ極道』、『眠る男』の演技も絶賛され、その年度の主演男優賞を総ざらいしてしまいます。
1997年には主演を務めた今村昌平監督の映画『うなぎ』がカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞しました。
なんと1996年と1967年の2年で20以上の映画賞を獲得してしまうのですから、スゴイ!
1997年は『失楽園』も大ヒットしています。
以後、1996年から7年連続で日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞するなど、映画賞の常連となり日本を代表する映画俳優の一人となったのです。
役所広司は1956年1月1日長崎県諫早市で生まれました。
今年で66歳になりましたが、身長が179㎝ありますから、大きい方ですね。
長崎県立大村工業高等学校卒業後、上京して千代田区役所土木工事課に勤務します。
公務員だった彼は友人に連れられて仲代達矢さん主演の舞台『どん底』を観に行きました。
この観劇で仲代達也さんの演技に圧倒され強いショックを受けます。
その日から彼は仲代達矢さんの演技を忘れることができません。
迫力に満ちた表情と静かに語りかける口調の見事なコントラスト。
舞台俳優への憧れは日々膨らんでいくのでした。彼はついに決心します。
俳優を志し、仲代達矢さんが主宰する俳優養成所『無名塾』の試験に挑みました。
競争率200倍とも言われた超難関を突破し見事、合格。
芸名は前職が役所勤めだったことと、役どころが広くなるように願い込めて『役所広司」に決まりました。
仲代達矢、自らの命名だったことが期待の大きさを物語っています。
千代田区の職員であれば、よほどのことがない限り一生くいっぱぐれはありません。
しかし、彼は公務員にとどまることを潔しとしなかったのです。
安定を捨てて未知の世界へ飛び込んだのでした。
『無名塾』で演技を磨き1980年のNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』でテレビデビューを果たしました。
その後は1983年のNHK大河ドラマ『徳川家康』で織田信長を演じて注目を集めます。
続いて1984年にはNHK時代劇『宮本武蔵』で初の主演に抜擢されされました。
こうして、若い頃の彼は時代劇で高い評価を受けます。
役所広司を一躍、お茶の間の人気者に押し上げたのは『三匹が斬る』でした。
テレビ朝日で放送された時代劇で1987年に第1回が放送され、1995年まで続いた人気番組です。
役所広司に加え高橋英樹さん、春風亭小朝さんのトリオが悪を退治するという、時代劇お決まりの勧善懲悪ドラマでした。
役所広司が演じたのは、久慈慎之介という薩摩藩出身の武士で普段は『千石』と呼ばれています。
大きな藩に禄高千石で仕官する夢を持つ浪人であることが通称の由来です。
普段は商家や武家の雇われ用心棒として生活していますが、曲がったことが大嫌いで正義感が強い一面を持ちます。
惚れっぽいところがあり、旅先で出会う女性達と恋に落ちますが大半は悲恋に終わるのです。
曲がったことが大嫌いで、弱い者が痛めつけられるのを見過ごすことができず惚れっぽい性格で旅を転々とする。
これ、どこかで聞いたことがありますね。そうです、『フーテンの寅さん』を彷彿させます。
このような人物設定は、時代を超えて人々の心をとらえるのかもしれません。
ストーリーは、3人の浪人がそれぞれ別々の旅をするのですが、違う経緯をたどり毎回ひとつの事件で偶然、再会する設定です。
そして、最後は互いに協力して悪党をやっつける痛快時代劇でした。
劇中では現代風の言葉遣いや粋なだじゃれを駆使し、明るい雰囲気をかもしだしていましたね。
これが人気の秘密だったのでしょう。
役所広司はいい雰囲気を出して、ピッタリ役にはまっていました。
通常の視聴率が15%前後で、スペシャル版だと20%を超える人気を誇ったものです。
役者としてこのような経歴をたどってきた彼は今でも、時代劇には強い思い入れがあります。
今年、2022年6月には主演を務める時代劇映画「峠 最後のサムライ」が公開されました。
司馬遼太郎が幕末の風雲児と呼ばれた長岡藩家老・河井継之助を描いたベストセラー小説が原作です。
役所広司は映画公開のあいさつで時代劇についてこのように述べています。
「人間の生活や生き方は今もそんなには変わらないでしょうけど、武士の時代はいろいろなことが簡潔だったと思います」
「余分なものを削り取った生き方、日本人の習慣、文化がシンプルに伝えられるのが時代劇です」
「同じ人生を生きてきた過去の人を演じたり、見たりすることで学ぶことがたくさんあります」
「時代劇ははっきり、くっきりと観客に伝わるような気がします」
時代劇に対する彼の熱意が伝わってきます。
役所広司のキャリアでもう一つ忘れてはいけない映画が『タンポポ』。
こちらは時代劇ではなく、伊丹十三さん監督の現代劇です。
公開されてからすでに35年以上経ちますが『タンポポ』は、さびれたラーメン屋の奮闘をコメディータッチで描いています。
日本よりもむしろアメリカやヨーロッパ、そしてアジアなど海外で高く評価された珍しい邦画です。
この映画には二人の若手俳優が出演し、印象的な役柄を演じています。
後に日本を代表する俳優に成長する、当時29歳だった役所広司さんと、26歳の渡辺謙さんです。
役所広司さんは『無名塾』に渡辺謙さんは『演劇集団 円』に所属していて二人ともまだ売り出し中の役者でした。
そんな時に、伊丹十三監督に声をかけられ、海外で喝采を浴びた『タンポポ』に出演したことは、後の2人の映画俳優人生に大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。
その後二人とも時代劇で大活躍をし、やがて国際的な俳優に成長するのですからとても偶然とは思えません。
伊丹十三さんの俳優を見る目は確かだったのでしょう。
役所広司はトーク番組やバラエティ番組にはめったに出ません。
ですから、過去のことや人柄について知る人は少ないと思われます。
彼もまた他の劇団出身者と同じで売れるまでの生活は、かなり厳しいものがあったようです。
映画関係者によると、どん底の生活が数年続いたといいます。
そして、とても寡黙な方です。そんな彼の魅力とは何かを探ってみました。
優れた役者は役になりきり、自らを出し切ることだとよく言われます。
だが、役所広司クラスの主演役者はそのレベルを超えなければなりません。
監督やスタッフなど周囲が発しているもの、共演する俳優が発しているもの、そうしたすべてを受け止め、自分の役に加えて行くことが出来る数少ない役者が、役所広司さんだと言われています。
演技しながら、こうしてさまざまな人の力をも吸い込んでいくからこそ、強力なオーラを発するのです。
映画最大の魅力は、みんなが真剣になる瞬間だと彼は言います。
役者にしてもスタッフにしても、うまいとか、下手とか、そういうことが問題なのではなくそれぞれが真剣になってこそ醸し出される雰囲気がある。
そんな雰囲気が出てくると最高の作品がうまれるとは言い切ります。
苦しい日々の中で培ってきた一流役者のキーワードは『真剣』です。
そして、もう一つが『決断』でしょう。
地方の高校を卒業して、東京のど真ん中である千代田区に就職出来たらもう、将来の安定した生活が約束されたも同然です。
しかし、彼は安定を捨てて未知の世界を選んだのです。決断こそ成功への第一歩であることを役所広司さんの俳優人生が証明しています。
さて、役所広司に関してもう一つ気になることがあります。
それは、彼が「病気を患っているのではないか」との噂です。
しかし、どんなに調べても役所広司さんが病気だという情報は出てきません。
おそらく、役作りのため少しやせたことがデマの原因でしょう。
コロナ禍で仕事が減り俳優をやめる若者を何人も見て来たという役所広司。
「これから映画とかテレビとか演劇とかの仕事をしたいと夢を持っている人たちには、何か良い環境を用意してあげたい」
こんな風におっしゃっているのですから、まだまだ気合十分です。
役所広司の活躍は続きますからご安心ください。