渡哲也の律義さと気遣いをビジネスマンは真似るべきだ

人生

渡哲也が逝ってしまった。

忘れられない俳優だ。

忘れられない男だ。

 

悲しい。

淋しい。

まだ、まだ早いよ。

 

最初、渡哲也を銀幕で見たのは高校1年生の時だった。

日活映画『赤い谷間の決闘』に出演していたが、強烈な印象が残った。

 

「カッコいい俳優だなあ」

映写室の小さな窓からスクリーンを覗き視ながら、釘付けになったことを覚えている。

病魔と闘い続けた、男・渡哲也の壮絶で律義な生涯

赤い谷間の決闘

近隣の倶知安町・硫黄谷が撮影舞台となった映画『赤い谷間の決闘』が岩内町にやってきた。

その時、私は高校1年生で岩内町に二軒あった映画館のうちの一軒『東栄劇場』でアルバイトをしていた。

 

映写室で二つの映写機を交互に回すのが仕事だったが、やることはそれほど多くなく小さな窓から映画を楽しむ時間は十分にあった。

 

『赤い谷間の決闘』は石原裕次郎と渡哲也の共演だったが、この映画に限っては渡の方が圧倒的に印象に残っている。

 

180㎝を超えるスラリとした長身。

彫りが深くて精悍、ハンサムでかつ男らしい顔。

 

男として必要なものはすべてそろっている。

当時の高校生にとっては眩し過ぎるほどの存在だった。

 

年令が近いせいもあって裕次郎より印象深かったのかも知れない。

渡はこの頃すでに、裕次郎の跡を継いで日活を背負って立つ男として大いに期待されていた。

 

凋落の影を引きずりながら復活を目指す日活は、過去に大ヒットした裕次郎の作品をリメークした。

伝説の『嵐を呼ぶ男』『陽のあたる坂道』などが渡哲也主演で制作公開された。

 

全国的な興行成績はどうだったのか知る由もないが、我が東栄劇場ではどれも客の入りは今一つだった記憶がある。

 

アルバイト先の東栄劇場は当時、日活と東映の映画を交互に架けていた。

高倉健の『網走番外地シリーズ』がダントツ最強の映画だった。

 

高校を卒業すると映画もテレビもあまり見なくなった。

渡哲也との再会?は『くちなしの花』

 

この歌が大ヒットしたころは大学生だった。

新聞配達をしながらの苦学生だったが、まあ、よく飲み歩いたものだ。

 

当時はカラオケはまだなく、有線放送全盛時代。

スナックへ行くと、どの店も有線から演歌が流れていた。

 

歌に自信のあるやつは、有線を止めて伴奏なしでマイクを握って唄っていた。

酔っぱらった勢いで『くちなしの花』を何度か唄ったことがある。

ミュージックボックスが流行ったのもこの時代だった。

 

渡哲也の最高傑作は何と言っていも『西部警察』

背広にビシっとネクタイを締め、角刈り頭にサングラス、手にはショットガン。

 

まさに型破りの警察官『大門巡査部長』と『大門軍団』。

一体、何台の車を燃やしたのだろうと思うほど、よく車を燃やしていました。

 

テレビドラマでは最強だったあの男が、常に病魔と闘っていたとは人生はむごい。

ざっと調べて見ただけで、これほどの病気と怪我との戦いを強いられていたのだから、言葉を失う。

 

・1972年に30歳でフジテTVのドラマ『忍法かげろう斬り』に主演中、葉間肋膜炎と診断される。

・1974年1月主演を務めたNHK大河ドラマ『勝海舟』撮影中に高熱が続き、肋膜炎と診断される。

・1989年にはドラマのロケ中にヘリから飛び降りて左足腓腹(ひふく)筋を断裂。

・1991年には直腸がんと闘うため自ら病名を公表。

・2004年には肺炎を患う

・2015年には急性心筋梗塞での緊急手術を受ける

 

これほどの病魔と闘いながら、TV画面に映るときはその表情に病気の欠けらさえ見せなかった。

役者が仕事とはいえ、あの毅然たる姿は相当な精神的強さに裏打ちされていなければ不可能だ。

 

病魔と闘いながら求道者のごとき内面の強さを積み重ね、弱弱しさや老いをまったく世間に感じさせなかったことは役者の鏡であり、奇跡とさえ言えるのではないだろうか。

 

自分がこれほどまで過酷な運命に襲われたなら、果たして渡哲也のように立ち向かうことができたであろうか?

はっきり言って自信がない。

 

渡哲也が映画デビューしたばかりの時のこと、日活の食堂で食事をしていた石原裕次郎の元に挨拶に行った。

 

座って食事中だった大スター裕次郎が、なんとわざわざ立ち上がって励ましてくれたのだという。

「石原裕次郎です。

君が新人の渡君ですか、頑張って下さいね」

 

あの時の感動が一生、渡哲也の心から離れることはなかった。

生涯、裕次郎の背中を追い続ける動機となった。

 

そして、渡はこの時の裕次郎を見習って、自分が大スターになってもベテラン若手関係なく、必ずきちんと立ち上がって挨拶を交わしたのだという。

 

渡の律義な態度に多くの若手俳優が感動した。

石原軍団の舘ひろしもその一人だという。

この気遣いは起業を目指す者やビジネスに身を置く者は、決して見逃してはならない。

 

倒産寸前だった石原プロに身を投じ、『西部警察』などで経営再建に大貢献した渡であるが、その起因となったのは裕次郎の挨拶だったのだから、たかが挨拶と蔑ろにしてはならない。

 

渡も若手俳優に気遣いを見せたことで、永遠の人望を得た。

ビジネスに例えるなら、あれほどの人望があれば成功もお金も望むがままだろう。

 

私は渡哲也の数々の気遣い、思いやりのエピソードを聞くと本当に恥ずかしくなる。

会社経営をしていた時、周囲に彼の何分の一かでも心遣いができていたなら、別な展開があったことは間違いないだろう。

 

人への気遣い、人に与えることの大切さを教えて頂き、大スター渡哲也には心から感謝したい。

永遠の憬れの男、そして永遠の大スターに合掌。

 

 

 

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