スポンサーリンク

笑福亭鶴瓶は落語をやらない落語で愛妻家。反骨精神が強く武勇伝の男!

波乱の人生

のんびりと人のよさそうな笑福亭鶴瓶。

だが、見た目とは違う一面を持っています。

 

いたずら好きの目立ちたがり屋でありますが、若い頃の武勇伝も凄いのです。

その目立ちたがり屋のいたずら好きと武勇伝を、時系列に追ってみていきましょう。

 

彼が落語と出会ったのは、中学時代でした。

始めて聞いた2代目桂伸治さんの落語『堀の内』にすっかり魅せられてしまいます。

 

教室に手作りの高座を用意し我流で『堀の内』を演じたのです。

中学生でこれをやるのですから、大した行動力であり、度胸もあります。

スポンサーリンク
アドセンスディスプレイ

笑福亭鶴瓶の武勇伝とテレビ東京出禁のふざけすぎた理由とは?

笑福亭鶴瓶はどういうわけか子どもの頃から、頭のよさそうな人間に異常なほど対抗心を持っていました。

 

ちなみに彼の本名は駿河学さんと言います。なんだか、いかにも勉強できそうで、

どこかの博士のような名前ですね。

少年漫画の主人公のようでもあります。

 

だが、あまり学校の勉強が好きではありませんでした。

この辺りがコンプレックスとなって、頭の良い子に対抗心を燃やしたのかもしれません。

そして、これがとんでもない事件となって家族を巻き込むことになります。

 

高校卒業を間近に控えた、1969年のことでした。

京都大学や大阪大学の合格発表に出向き、試験に落ちてしょんぼりしている生徒の隣で「あったー!」と大声で受験番号を指さし合格したフリをして大喜びします。

 

それだけにとどまりません。

友達を数人連れていき、ご丁寧に胴上げまでさせるという悪戯をしていたのです。

 

これがなんと、大阪大学の合格発表で、NHKの取材班に撮影されてしまいます。

取材に応じている姿が夕方のニュース番組に、バッチリと映ってしまったのですからたまりません。

 

ニュースを見ていた親戚から祝電が届くなどしたため、事情を知らない両親は目を白黒させるばかり。

あとで真相を知り、大恥をかいた両親からは当然、烈火のごとく叱られたのでした。

 

大学時代は面白エピソードばかりではなく、武勇伝もあれば運命の出会いまであったのです。

彼は複数の大学に合格しますが、その中から京都産業大学を選びました。

 

入学金が他よりかなりに安かったことも魅力でしたが、他にも理由がありました。

入試の時に出会った女性と再会できるのではないかという期待があったのです。

そして、その女性とは入学後、期待通りに再会を果たします。

 

目立ちたがり屋で人を笑わせることが大好きな彼は大学でも中学、高校時代のように教室で皆を笑わせたいと考えました。

 

だが、大学の教室は広すぎる上に学生の出入りも自由です。

まともな手段では注目を集めるのが難しいと気づきます。

 

そこで思いついたのは、カセットテープに録音した出囃子を教授が教室に入るタイミングでかけることでした。

これがバッチリと、はまった時は大うけしたものです。

 

彼は落語研究会に入りますが、いずれ大学をやめて落語家になると公言しました。

あるとき落語研究会の先輩2人から、からかわれます。

 

「いつになったら落語家になるんや」

これに激怒した彼は、2人をトイレに連れ込みます。

 

「俺がどないしようと俺の勝手やないか!

おまえらにガタガタいわれる筋合いはないわい!

おまえらに言われんでも、やめる時が来たらやめるんじゃ!」

 

とまくしたてながら、二人を思いっきり殴打したのです。

これが最初の武勇伝でした。

 

あの目の細い人のよさそうなオッサンは、実は怒ると怖いのです。

それから間もなく、鶴瓶は大学をやめています。

 

次の事件は世間を「あっ!」と言わせましたので、記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

東京で無名だった頃のことです。

 

『テレビ東京』がまだ『東京12チャンネル』と言っていた時のことでした。

1975年の生放送でその事件は勃発します。

番組放送中になんと2度までも、局部を露出したのですから大変です。

 

しかも、2度目はスタジオ内の放送機器を壊して器物破損まで加わるのですから、テレビ局は怒ります。

なぜそんなバカなことをしてしまったのでしょう。

彼は露出狂なのでしょうか?

 

事の発端はこうでした。

深夜番組『独占!男の時間』に出演したのですが、リハーサルで披露したギャグを担当のプロデューサーがこき下ろします。

 

これが許せないほど傲慢な態度だったのです。

鶴瓶は腹いせに本番の生放送で、テレビカメラが自分をアップするタイミングを狙って股間を露出したのでした。

 

しかし、プロデューサーへの腹いせにしては少しやりすぎです。

最後はカメラに股間を押し付けると言う、前代未聞をやらかしてしまいます。

スタジオから強制的に退場させられたのは言うまでもありません。

 

この話にはまだ、続きがあります。

その後、番組は1977年3月26日で最終回を迎えました。

司会の山城新伍さんが粋な計らいを見せ、鶴瓶は特別に出演できるようになります。

 

「鶴瓶、今日でこの番組も終わりや。なにをやってもかめへんで。おまえの好きなようにやり」

と言われました。

 

すると鶴瓶は突然テレビカメラの前で肛門を見せてスタジオから逃走します。

その勢いのまま、東京12チャンネルの敷地内にあった池に飛び込んだのでした。

 

そして当時の社長が大切に育てていた、時価数百万円とも言われる錦鯉を踏み殺してしまったのです。

これには東京12チャンネルも、堪忍袋の緒が切れました。

 

鶴瓶に無期限の出入禁止が言い渡されたのです。

こうして『テレビ東京』へと改称した後の2003年までなんと、26年近くも出禁は続きました。

 

大して売れてもいない時代に嫌味たっぷりのプロデューサーへ仕返しを企てたことには、拍手を送りたいと思います。

 

見上げた反骨精神と意地です。

でも、最終回の大暴れは、いくら何でもやりすぎでしょう。

 

他にも下積み時代の武勇伝があります。

イベント会社が若手芸人を集め、劇場で余興を企画し鶴瓶さんも呼ばれました。

 

しかし、その会社の社長の態度があまりにもぞんざいだったのです。

芸人たちを完全にバカにしています。

この態度が我慢ならず、出演しないまま劇場を後にしたことがありました。

 

それから約一年半後、鶴瓶へ同じ会社から企画が持ち込まれます。

この時は、鶴瓶も売れっ子になっていました。

だが、彼はきっぱりと企画を断ります。

 

「売れていない弱い立場の芸人には平気で高飛車に命令をしておいて、少し売れてくるとたちまち態度を変える」

これが彼にはどうしても許せません。

 

「僕はそんな方と一緒に仕事したくないんです」

社長に向かって、言い放ったのでした。

なんだか『痛快スカットTV ジャパン』のようで胸がスッキリします。

 

他にもまだたくさんこのような逸話を残している鶴瓶さんは、なかなか義侠心にあふれたナイスガイなのです。

笑福亭鶴瓶は入試で一目ぼれの女性と結婚した愛妻家!

さて、鶴瓶が入試で一目ぼれした女性の存在が気になります。

京都産業大学に入学し期待通り再会したところまでは、お話ししました。

 

その後、この女性と鶴瓶はどうなったのか?

はい、現在の奥さまがその方です。

 

名前は玲子さんと言います。

玲子さんは、鶴瓶が所属していた大学の落研でマネジャーを務めていました。

 

卒業後は愛媛県松山市の実家に帰り、地元の会社に勤めていましたが、二人は学生時代からの交際を継続していたのです。

今でいうところの、遠距離恋愛になります。

 

大学を2年で中退した鶴瓶は、落語家を目指して6代目笑福亭松鶴に弟子入りしました。

そんな修行中で、まだ下積み時代のことです。

ラジオの公開収録がホテルのプールサイドで行われます。

 

鶴瓶が大勢の前でしゃべっていると、プールの中に玲子さんの姿があったのです。

二人の視線が合うと玲子さんは手を振って応えます。

 

玲子さんが数日前から有給休暇を取って、大阪に遊びに来ていたのは、恋愛中の二人ですから鶴瓶はもちろん知っていました。

 

しかし、愛媛に帰るため、空港に向かっていなければならない時間だったのです。

仕事が終わった後、二人は会います。

すると玲子さんは、飛行機のチケットを細かくちぎって紙吹雪のように投げ捨てたのでした。

 

「私、もう帰られへん」

これに対して

「ダメだよ、帰りなはれ」

というほど、無粋な彼ではありません。

 

二人は同棲を始めたのです。

10年後には、正式に結婚しようと約束しますが、玲子さんの妊娠により6年も早く式を挙げています。

 

玲子さんはこの結婚を両親に反対されていました。

そのことがあり結婚式では新婦さん側の出席者は一人もいなかったそうです。

披露宴には当時人気絶頂だった『あのねのね』の清水国明と原田伸郎が出席します。

 

二人とも京都産業大学の落研では新郎新婦の先輩にあたり、大学時代からとても親しい間柄だったのです。

この二人がとんでもない金額の、ご祝儀を置いていきます。

 

仕事が終わってそのまま、結婚式に駆けつけてくれたのです。

しかも、その仕事でもらったギャラをそっくりそのまま、ご祝儀として置いていったのでした。

 

鶴瓶は言います。

「結婚式と披露宴の費用を払っても、おつりがくるほどだった」

現在も、決してこのことに対して感謝の気持ちを忘れることはないと言っています。

 

鶴瓶はずーっと愛妻家です。

今でも奥さんへの愛は変わりません。

しわくちゃの細い目の奥に秘められた稀代の反骨精神には、目を見張るものがあります。

 

そういえば、どなたか言っていました。

今、ドラマでラスボスをやらせたら鶴瓶が最も怖いだろうと。

 

テレビに出始めたころの鶴瓶はタレント活動が忙しく、高座に上がることの少ない落語家でした。

だが、2000年代に入ると入ると高座に上がる機会を増やします。

 

彼の独特な噺家ぶりを落語関連著書の多い広瀬和生は「落語演らない落語家」「鶴瓶噺なるジャンルを確立させた」と評しています。

まだまだ、楽しませてくれるでしょう。

タイトルとURLをコピーしました