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田中邦衛は若いころの経験を活かして日本一の名わき役になった!

波乱の人生

田中邦衛と言えば若いころから名わき役として有名でした。

出世作は加山雄三主演の映画『若大将』シリーズ。

1961年の第一作から若大将のライバル『青大将』役で出演します。

 

彼の名わき役は、若いころの経験によるところも大きいのです。

果たして彼はどんな少年時代を過ごしたのでしょう。

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田中邦衛にはわき役としての哲学があったから成功した!

若大将シリーズの青大将は、大企業の社長を父に持つ嫌味たっぷりのキザなドラ息子。

これが、ドはまりしました。

 

交通違反の常習者であったり、カンニングに失敗して留年するなど破天荒でコミカルな役をごく自然に演じています。

 

田中邦衛と言えば『青大将』。

そのイメージが映画ファンに定着するのに、それほど時間はかかりませんでした。

 

当初は、映画館のスクリーンに青大将がクローズアップされると館内に悲鳴とも、どよめきともつかない小さな声が漏れるのです。

そして、嘲笑が起こり、しまいには「ひっこめー」と怒声さえ響くことがありました。

 

しかし、回を重ねるごとに若者を中心にファンの意識は変わります。

「今度の映画では、青大将がどんな外車を乗り回すか」

 

 

「どんな派手なネクタイにサングラスはどんなのをかけて出るか」

など『若大将シリーズ』で青大将は欠かすことのできない存在になるのでした。

 

こうしてシリーズ全18作にレギュラーとして登場します。

田中邦衛演じる青大将の本名は『石山新次郎』と言いますが、この名の由来がまた面白い。

当時、人気絶頂だった石原裕次郎と兄の石原慎太郎をもじったと伝えられています。

 

若大将シリーズの監督やプロデューサーは、ユーモラスなセンスの持ち主だったのでしょう。

メデアには、田中邦衛演じる青大将がいたからこそ、若大将シリーズが成立した、との声も多くありました。

 

また、このような論評さえ聞かれたものです。

「青大将が出ると若大将を食ってしまう」。

 

田中邦衛をほめる言葉だったのですが、彼はこのような発言に落ち込みます。

「脇役は主役の引き立て役だから主役を食ってはいけない」

「主役を食っている、ということは、俺の演技が未熟ということ」

 

彼が当代随一の脇役として輝いたのは、こんな役者哲学に徹していたからでしょう。

では、あれほど嫌味な敵役に徹した田中邦衛と颯爽とした若大将の加山雄三は、私生活でもソリが合わなかったのでしょうか。

 

いえ、決してそんなことはありません。

むしろ逆ですね。

加山雄三が若いころに語っています。

 

「プライベートでは最高のコンビです」

「会う前は怖いイメージでしたが、会ってみたらそういう印象とまったく違って、優しくてユニークな人でした」

すぐに意気投合したということです。

 

加山雄三が彼に対して怖いイメージを持っていたのには理由があります。

若大将シリーズが始まる直前に田中邦衛は黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』で殺し屋を演じたのです。

 

役者にはシリアスな演技を求める黒澤明監督が27歳の彼に殺し屋の役を任せたのですから、相当演技力を買っていたことになります。

こうして、名わき役の実力を認められた彼はその後、東映のやくざ映画路線で渋い演技を見せます。

東映のやくざ映画で名わき役ぶりを発揮した田中邦衛の過去とは?

田中邦衛は高倉健主演の『網走番外地シリーズ』で、健さんを慕うちょっと頼りない舎弟を好演します。

一方、菅原文太主演の『仁義なき戦いシリーズ』では、ずる賢いやくざを演じて、イメージを一新し映画ファンを驚かせたものです。

 

このように彼の独特な表情としゃべり方は、スクリーンいっぱいに、いぶし銀の鈍い光を放つのでした。

田中邦衛の個性は特別なものです。二人といません。

 

日本の映画史上、実に稀なる鈍く重い光を放つ至宝ともいえる個性でした。

映画で確固たる助演俳優の座を築いた彼は、やがて活躍の場をテレビにシフトします。

 

テレビでの活躍を語る前に彼の少年時代を振り返ってみましょう。

やくざや不良っぽい役になぜストーンとはまるのはなぜかと言えば、演技力もさることながら、少年時代の影響も無関係とは言えないのです。

 

田中邦衛は1932年11月23日 、岐阜県土岐市で陶器を造る窯元に生まれました。

終戦の年に地元の旧制中学に入るのですがあまりの不良ぶりに両親は手を焼きます。

 

そして全く地縁もなく知り合いもいない、千葉県柏市の高校にむりやり転校させられてしまうのです。

転校後はおとなしくして系列の短大まで進学します。

 

短大卒業後は郷里に戻り実家の窯業を手伝っていましたが、教員不足だった地元の中学で臨時教員に採用されます。

 

教員時代は自分が元不良少年だった為にまったく子どもたちを叱れなかったと言っていました。

この頃、名古屋で舞台『セールスマンの死』を観劇します。

滝沢修さんの演技に酔いしれるほどの感動を覚えました。

 

これを機に俳優へあこがれを抱き十カ月で教員を退き上京します。

そして、1955年に三度目の受験でようやく俳優座第七期の研究生となったのです。

 

この当時、劇団員になるのはとても大変でした。

数百人の受験生に対して研究生になれるのは、わずか50人足らずです。

 

東大に合格するよりも難しいとさえ形容されました。

正式な劇団員になるのが、これまた狭き門です。

 

田中邦衛は3年間の養成所生活を経て無事、俳優座座員に昇格します。

47人中3人という狭き門を突破したのです。

 

その後、映画で輝いたのは、これまで述べてきたとおりですが、少年時代の不良経験が演技に活きたと見る人は多くいます。

 

また、映画プロデューサーでもあり、東映の社長も務めた岡田祐介は彼の演技力についてこのように言っていました。

 

「田中邦衛さんが他のスター俳優と違うのは、ごく普通の日常性を持っていたことです。」

「街の人々をよく観察し、その日常を芝居に生かしていましたね」

 

彼の人生は波乱に満ちたものでした。

苦しい時代の波も何度となく乗り越えています。

 

そんな中で培われたのが庶民感覚だったのです。

田中邦衛は、自分の体験一つ一つを芸の肥やしにしたのではないでしょうか。

 

映画が斜陽期に入ると彼の軸足はテレビに移ります。

テレビでも映画同様、時代劇、現代劇問わずバイプレーヤーとして存在感を発揮しました。

そして、ついには人気ドラマで主役に抜擢されるのです。

ドラマ『北の国から』で日本中を泣かせた名演技!

倉本聰の脚本による『北の国から』で演じた黒板五郎は秀逸でしたね。

シャイで生真面目で、ぶっきらぼうで少し怒りっぽくて、時々泥酔してしまう。

田中邦衛でなければ演じられない役でした。

 

あれほど愛していた妻から不倫という裏切りを受けてしまう。

失意と怒りを抱き、息子と娘二人の子どもを連れて生まれ故郷の北海道へ帰ります。

 

電気も水道もガスもない自給自足の生活が始まりました。

まあ、本当にいろいろなことが起きます。

一時も気の休まる暇がないほど一家は、世間と自然の厳しさにさらされるのです。

 

月日は流れ、娘の蛍が結婚式を挙げます。

五郎は披露宴で酔いつぶれてしまうのです。

 

息子の純が背負って帰ろうとしたとき五郎の懐に何か固いものを忍ばせているのに気づきました。

不倫に走った挙句、病気でこの世を去った妻の遺影を忍ばせていたのです。

 

自分を裏切った妻に娘の晴れ姿を一目見せてあげたかった。

いや、五郎は妻・令子を心底愛していたのです。

自分の気持ちを素直に表現できない、日本の男を見事に演じ切った田中邦衛でした。

トークショー嫌いな田中邦衛が夫婦で感動した山形での出来事!

あれほど個性的で数々のエピソードを持つ田中邦衛は、トーク番組やバラエティ番組からつねに声をかけられていました。

 

だが、わずかの例外を除き極力出演を断っています。

その例外の一つが1998年11月山形県天童市で行ったトークショーです。

 

山形在住のシネマパーソナリティである荒井幸博さんからの強い要請を受けてのことでした。

夫婦で訪れ、彼は観客が歓喜する光景に感動します。

 

それ以来、夫婦ともに山形の人情、食べ物、温泉、風景を気に入り毎年2 、3回は私的旅行を含めて山形まで足を運びました。

 

田中邦衛はまた、ブルーリボン賞助演男優賞や日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞など数々の映画賞を受賞し、紫綬褒章、旭日小綬章も叙勲しています。

だが、晩年はセリフが覚えられないと言って、役者からは遠ざかっていました。

 

2012年6月29日には『北の国から』など多くの作品で共演した地井武男が死去します。

彼は青山葬儀所で営まれた「お別れの会」で、吉岡秀隆に付き添われ祭壇の前に立ちました。

 

「おいらまだ信じられない。会いたいよ!地井にい(兄)、会いたいよ!」

と悲痛な声で地井さんの遺影に語りかけています。

これが、公に姿を現した最後となったのです。

 

その後はリハビリのため介護施設に入ったり自宅に戻ったりを繰り返しましたが2021年3月24日午前11時24分、老衰のため帰らぬ人となりました。

享年90歳、満88歳でした。

 

「すべてをやり切った、安らかな顔でした」

奥様は静かにそうおっしゃっています。

 

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