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田中角栄の凄さと名言!伝説の男は最後まで情をつら抜いた?

波乱の人生

田中角栄さんはこんな名言を遺しました。

「できるだけ敵を減らしていくこと。世の中は嫉妬とソロバンだ」

「功は焦らなくても良い。自分に実力がありさえすれば、運は必ず回って来る」。

 

伝説の男は、演説の名人でもありました。

巧みな演説で人の心を引き付ける力には目を見張ったものです。

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田中角栄さんは演説の名人で伝説の男!

豊富な知識と天才的な記憶力、そして抜群の行動力から「コンピュータ付きブルドーザー」とも呼ばれた『角さん』こと田中角栄さん。

 

彼の凄さは、それだけにとどまりません。

巧みな演説で、たちまち人を引き付けてしまうのでした。

 

パーティー会場のステージへ上り、

「私が田中角栄です」

というだけで万雷の拍手が起きました。

 

そして、必ず聴衆から声が飛びます。

「よっ!」「待ってました」などですね。

 

まるで時代劇の芝居小屋を彷彿させるような雰囲気を一瞬のうちに創り出してしまうのですから、これはもう、本当にすごいものがあります。

 

雰囲気だけではありません。

話す内容も実に巧みに計算されつくされているのです。

 

例えばA議員の大臣就任パーティーだったとします。

まず、A議員にお祝いの言葉を述べ、本人を褒めたたえることを忘れません。

 

そして、そのあとがスゴイ。

日本の経済状況や置かれている国際情勢について実にわかりやすく、簡潔に説明します。

 

次は、必ずA議員の地元の事情に触れます。

「彼の地元は製造業が盛んですが、もう少し輸出を増やせばもっと経済は活性化する。

地元のためにそれができるのはA議員しかいません」

 

さらには、議員の奥さんが出席していると必ず奥さんのこともほめるのです。

そして、もう一度議員本人の話に戻り、今後の活躍に期待する言葉を述べます。

 

最後に今後の日本はどうあるべきかを訴えて演説を終えるのです。

このようなパーティーは時間が限られているうえゲストが多いので、角さんといえども演説の持ち時間は精々5分程度です。

 

その短い制限時間内にこれだけの内容をしっかりとまとめて盛り込むのですから、これは天才以外の何者でもありません。

 

独特のダミ声ではありますが、語尾がしっかりしていて話し方がとても力強く、間の取り方がまた抜群なのです。

これで聴衆は聞きほれてしまいます。

 

田中角栄さんの演説が如何に傑出しているかはパーティーに呼ばれた他のゲストたちと比べて見ればよく分ります。

若い頃の小泉純一郎は小物感たっぷりだった?

田中角栄さんの演説と比較して

「なんだ、この男は」

と思わずにはいられなかった若手議員がいました。

 

まだ40代半ばだった小泉純一郎です。

ある企業の本社ビル新築パーティーでのことでした。

 

当時の福田派若手有望議員だと紹介されて挨拶に立ちました。

話す内容は同じことの繰り返しです。

「我が派はクリーンです。他派閥の金権政治とは違います」

 

このようなことを何度も繰り返すだけで、ビル新築のお祝いを述べることもなければ、社長や会社を讃えることも一切なしですから、口あんぐりです。

 

パーティー参加者からは失笑さえ漏れていました。

その人が我が日本国の総理大臣になってしまうのですから、人は変われば変わるものだと驚くばかりです。

 

確かに小泉純一郎はあのころに比べて演説はうまくなりました。

ワンイシューで人を引き付けることも学んだようです。

けれども、田中角栄さんのような世界観は最後まで持てなかったようです。

 

他人に対する配慮もありませんね、小泉純一郎の演説には。

これ以上話すと、小泉ファンとチコちゃんに叱られそうですから田中角栄さんに話題を戻します。

田中角栄さんの凄さはお金の使い方に現れていた!

田中角栄さんは演説が素晴らしく上手でしたがお金の使い方が、これまたけた外れだったのです。

角さんはゴルフ好きで有名でした。

その彼がゴルフ場では最も愛し何度となくプレーに通ったのが小金井カントリ―倶楽部です。

 

ゴルフ会員権が日本で一番高いコースとして有名ですが、バブルの頃は4億円の相場をつけて、世界的な話題となりました。

現在は4千万円前後で推移しています。

 

角さんが小金井カントリー倶楽部に行った時に配る、チップの額が半端ではありません。

ただただ、たまげるばかりです。

コースで会う人会う人、すべての人たちに1万円札を配るのです。

 

フロントの方、レストランの従業員、キャディさん、売店の人、コース管理で草を刈っている人や木を剪定する人まですべてです。

 

ロッカーでカギを管理する人から浴場の雑用係まで、本当に隅から隅まで一万円札を配ります。

田中角栄さんが小金井カントリー俱楽部のメンバーになったのは1972年ころのことでしたが、その当時から1万円札を配っていました。

 

1972年と言えば、ラーメン一杯140円、週刊誌が90円で映画は800円で観られました。

大卒の初任給が 47,000円前後、高卒の初任給は37,500円くらいの時です。

 

1万円の価値がどれほどすごかったか、よく分っていただけると思います。

これでは角さんの悪口を言う人は、誰もいませんね。

田中角栄さんのゴルフは超せっかちだった?

田中角栄さんは、せっかちなことでも有名でした。

だから、ゴルフのプレーも速い。

 

通常はワンラウンド回るのに2時間から遅いと2時間半かかります。

それを角さんは1時間15分くらいで回ってしまうのです。

 

だから、1日にツーラウンドでもスリーラウンドでも平気で回ります。

角さんとは大の仲良しだった、藤原弘達さんという有名な評論家がいました。

二人は同じ小金井カントリー俱楽部のメンバー同士でもあり、よく一緒にプレーしたようです。

 

その藤原弘達さんが講演で言ってました。

「角栄のタフさは異常だよ。

ゴルフをツーラウンド回って、赤坂か神楽坂あたりで一杯ひっかけて、夜もうワンラウンドやると丁度いい。

というんだから驚くよ」。

 

夜も入れて、1日スリーラウンドが丁度よいと言うのですから、確かにタフですね。

角さんのお金配りはゴルフ場に限ったことではありませんでした。

 

地方に出張して旅館に泊まる際も女中さんから調理場、そして女将さんまで、分け隔てなくご祝儀を配っていたと言います。

 

だから芸者遊びも実に豪快でした。

宴席を設けると正式な料金とは別に、秘書を通じて女将さんへ数十万円を渡していました。

 

「仲居さんや板場で働く連中に分けてくれ」

そう言って渡すのです。

ゴルフ場同様に、そんなことをされて喜ばない人がいるはずもありませんね。

 

「我々にまで気を使うなんてスゴイ人だなあ」

と、どこへ行っても角さんの人気はうなぎ登りになるのです。

 

情に厚く金離れの良い角さんは、宴席も常に明るかったことで知られています。

角さんの芸者遊びはいつも笑いが絶えないので、他の座敷にいる芸者さんたちまで彼の座敷に移りたくて、そわそわと落ち着かなかったのだとか。

田中角栄さんは三つの家庭を持っていた?

そんな角さんですから、当然女性にはモテます。

分っているだけで3つの家庭を持っていました。

 

娘・真紀子さんを育てたのは目白御殿で、神楽坂芸者だった辻和子さんとの間には二人の息子さんがいます。

 

そして、もう一つの家庭は角さんの金庫番として有名だった佐藤昭さんと築きました。彼女との間には娘さんが一人います。

 

 角栄さんは情の人ですから、3人に対して同じように接し、大切にしたと言います。

子どもがいたかどうかは、分りませんがこの他にも女性はいたようです。

 

彼の哲学は

「外で遊んでもいいから、妻を大事にしろ」

でした。

 

田中派の議員や日本一の後援会と言われた越山会の関係者は、よくそのように言われたと聞きます。

そして女性に対しての記憶力とマメさもすごかったのです。

 

相手の女性が何が好きなのか、色やブランドの好みまで、全て頭に入っていたと言います。

行く先々でそれぞれの女性に合ったお土産を大量に買い求めていました。

 

秘書に買わせることもありましたが、渡すときだけは必ず自分が直接手渡します。

この記事を是非、前沢さんに読んでいただきたいと願っています。

 

角さんのお金の配り方と女性への接し方を学んでほしいと思うからです。

どなたか、前沢さんのお知り合いがいらっしゃいましたら、教えてあげてください。

最後まで情を貫いた田中角栄さん

さて、角さんは最後まで情を貫きました。ロッキード事件をきっかけに彼の資金源が批判の集中砲火を浴びます。

 

国会でも大問題となり、角さんの後援会である越山会の会計責任者として佐藤昭さんの証人喚問が検討されたのです。

 

彼女を国会の場に連れ出され、世間の好奇の目にさらすわけにいかない。

そう思い、佐藤昭女史を守るために田中角栄さんは総理大臣を辞任します。

 

辞任当初は他の理由がいろいろ取りざたされましたが、近年では佐藤昭さんを守るための決断だったとの説が有力です。

 

1972年の総理大臣就任直後に出版した『日本列島改造論』は90万部を売り上げるベストセラーになりました。

これにより、地価高騰を招き狂乱物価と言われるほどの混乱を招いたことも確かです。

 

しかし、高速道路や新幹線、さらには本州四国連絡橋などを整備して日本列島を線で結ぶという発想は素晴らしいものでした。

 

東京一極集中を解決し、地方の活性化を図るためには角さんのような強力なリーダーシップが必要です。

角さんはいつの場合も、大都市と地方は平等であるべきだと言う視点から日本を俯瞰していました。

 

彼には類まれなる人間愛と情があったから、それが出来たのです。

田中角栄のようなリーダーの出現が望まれています。

 

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