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タモリと小田和正の関係、愛人の正体、サングラスをかける理由に迫った!

波乱の人生

タモリと言えば日本で知らない人がいないほどの有名人です。

お笑い芸人の枠を超えた、この方こそまさしくエンターティナーと呼ぶにふさわしい人。

 

その、タモリと小田和正はかなり長い間、不仲だと噂されてきました。

では、なぜタモリと小田和正さんの間に確執が生まれたのでしょうか?

 

また、どうしてタモリはいつもサングラスを開いているのでしょう。

彼女の存在も気になります。

タモリに迫りました。

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タモリと小田和正はかなりの不仲と言われるが本当なの?

タモリと小田和正さんの間に生まれた確執。

これにはかなり複雑な理由が絡み合っています。

まず、タモリはフォークソングが嫌いで、それが小田和正嫌いにつながったようです。

 

そして、タモリがフォークソング嫌いになった理由を知ってもらうためには、彼の芸歴を知ってもらわなければなりません。

 

早稲田大学へ入学したタモリは、いろんないきさつがあり大学を中退し 故郷の福岡県へ帰ります。

福岡では生命保険のセールスマンなどを経て、喫茶店のマスターになりました。

 

お客さんがウインナーコーヒーを注文するとコーヒーにウインナーソーセージが入って出てくるなどかなり変わったマスターとして評判になっていました。

 

それを聞きつけたのが新宿ゴールデン街のバー『ジャックの豆の木』の常連だったジャズピアニストの山下洋輔でした。

ちなみに店名は「ジャックと豆の木」ではなく「ジャックの豆の木」です、念のため。

 

山下洋輔はとても変で面白い男が福岡にいるから、上京させてこの店で何か芸をやらせようと提案します。

その話に乗ったのが、サックス奏者の坂田明や漫画家の長谷川法世、南伸坊らでした。

 

皆でお金を出し合い、タモリさん上京の交通費と滞在費を工面したのです。

こうしてタモリは『ジャックの豆の木』で即興芸を披露するようになります。

これがまた大うけするのです。

 

さらにこれを聞きつけたのが、天才漫画家の赤塚不二夫でした。

赤塚不二夫は福岡に帰りたがったタモリさんに自分のマンションを提供し、真っ赤なスポーツカーも好きに乗り回して良いという条件で引き留めたのです。

 

のちにこのことに触れ、タモリは言っています。

「居候は卑屈にならないことが大事」

 

そうは言いますが、当時の状況は超売れっ子だった赤塚不二夫は仕事場へ泊りっぱなし。

ロッカーを横に倒してその上に布団を敷いて寝ていたそうです。

 

しかも、タモリには毎月20万円から30万円のお小遣いを渡していたと言われています。

これでは居候が卑屈になる理由はありませんね。

むしろ、家主の赤塚不二夫が卑屈になっていたのではないかと心配してしまいます。

 

でも、よい話ではありませんか。

一人の有能なタレントを育てるためみんなでお金を出し合って上京させる。

そして住まいまで提供して応援する。日本中が活気に満ちていた昭和の匂いが漂ってきそうなエピソードです。

 

のちにタモリは赤塚不二夫さんの告別式では何度も涙をぬぐいながら弔辞を読み上げました。

「私もあなたの数多くの作品の一つです」

 

さて、タモリが即興芸で人気を博していた『ジャックの豆の木』にはフォークソング歌手も客として出入りしていました。

その中の何人かが飲むとジャズやロックの悪口を言うのです。

 

さんざん悪口を聞かされ、タモリはフォークソングが嫌いになってしまったのです。

やがてタモリは人気司会者としてフジテレビの「笑っていいとも」に出演するようになります。

 

この番組の中で彼は、フォークソングが嫌いだと公言しています。

特にさだまさしと小田和正は暗くていやだとはっきり言っています。

そして歌う歌詞が軟弱だ、見せかけだけのやさしさだとも言ったことがあります。

 

さらには、ラジオ番組でなんとこんなことまで言っているから驚きです。

「これまで一番嫌だったゲストは?」と質問されたタモリが「そんな人はいませんが……小田和正」と答えてしまったのです。

 

笑ってごまかそうとしましたが、後の祭りですね。

誰かを茶化して場を盛り上げるのを、芸風としていた当時のタモリ。

とはいえ、このようなことが耳に入ると聞いた方は誰だって心穏やかではありません。

 

タモリと小田和正の間に確執が生まれたのはこのようなことが原因だったと思われます。

しかしその後、小田和正は『笑っていいとも』に出演しています。

 

タモリと小田和正さんの確執を知りながら明石家まさんが「テレフォンショッキング」の次の友人ゲストとして小田和正を指名したのです。

1984年の事でした。

 

さんまは小田和正が出演OKを出した後にタモリをからかって言いました。

「嫌いなゲストにどう対応するか見てみたくてさあ」と。

 

さて、確執の深い二人の共演シーンです。

まず、簡単なゲスト紹介があり、その後タモリから新曲に関する質問がありました。

 

「レコードお出しになった?」と振るタモリ。

小田和正の答えは実に素っ気ないものでした。

「きっと気に入らないと思いますけど」と苦笑交じりに短く答えるだけ。

 

さらに「専門的な話をしてもつまらないから」とタモリに追い打ちをかけます。

タモリも黙ってはいません。

「バカにしてるんですか」と応戦します。

 

何を言っても爆笑することで知られていた「笑っていいとも」の観客も静まり返ったまま。

高性能のマイクを通じてスタジオの空調の音が視聴者に届いてもおかしくないほど冷たく張り詰めた雰囲気でした。

 

これで二人の確執の噂は確定的なものとなったのです。

それから長い年月が流れます。

そして、2014年9月に二人は劇的な和解を果たしたのです。

 

フジテレビアナウンサーの結婚披露宴に二人は出席していました。

この時の出席者によりますと、披露宴開始直前に小田和正がタモリに歩み寄り、右手を差し出します。

それを両手でがっちりと受け止めたタモリ。

 

式がはじまり、やがてスピーチに立ったタモリが「普段はあまり披露宴に出ないけど、きょうは小田さんと会えて良かった」

と話しながら小田に近寄り再び握手したといいます。

 

まあ、よかったですね。

長年の確執を乗り越え、おめでたい結婚式の場で

和解できたのですから、本当に目出度いことです。

タモリは失明したからサングラスをしているって本当?

タモリと言えばサングラスがトレードマークです。

なぜ、彼はいつもサングラスをかけているのでしょうか?

真相に迫りました。

 

タモリのサングラスはファッションだと思っている人も多いようですが、決してそんなことはありません。

実は、小学校3年生のとき、下校途中で道端の電柱を支えているワイヤーに顔をぶつけてしまったのです。

 

この時、運悪く針金の結び目から飛び出していた1本が右目に突き刺さったのです。

すぐに病院に行きましたが、医者に失明は避けられないと宣告されてしまいます。

2ヶ月間学校を休んで治療に専念したが医者から言われた通り視力は戻りませんでした。

 

それを隠すためにテレビに出るときでも色の濃いサングラスをかけているのです。

その愛妻家で知られるタモリさんにも不倫で週刊誌をにぎわしたことがあります。

タモリの愛人二人の正体!

1回目は2018年7月に週刊誌新潮によってスクープされました。

不倫のお相手は脚本家である中園ミホです。

NHNの大河ドラマ『西郷どん』の脚本を書いた方です。

 

真夏の灼熱の中、サングラスではなく、普通の眼鏡をかけていたタモリ。

黒いコートに黒い帽子で変装した彼が中園ミホのマンションへ入って行くところを複数回目撃されています。

 

それにしたって、真夏のくそ熱い日中に東京のど真ん中を黒いコートに黒い帽子では「俺を見つけてくれ」と言って歩いているようなものです。

 

そして二度目が2019年8月でした。

WEBニュースサイト『NEWSポストセブン』が“アラ還美女との逢瀬を報じ、またまた不倫疑惑が浮上したのです。

 

記事によりますと今度の相手はひとり暮らしをしている60代の一般女性。

二人は銀座や西麻布で食事デートを楽しんだあと、女性のマンションでともに過ごしているようです。

 

週に一度の頻度で会い、この時もやはりタモリはトレードマークのサングラスではなく黒縁メガネをかけていました。

顔を覆い尽くすほど大きいマスクを着用して完全防備で密会していると『NEWSポストセブン』が伝えています。

 

1回目が7月で2回目が8月です。

タモリは『お熱いのが好き』なのでしょう。

しかし、タモリの不倫騒動はテレビのワイドショーがこぞってスルーしています。

 

だから、有名人の不倫が徹底的に叩かれるこのご時世でも決して大ごとにならず知らないファンも多いのではないでしょうか。

これについてはタモリが所属する『田辺エージェンシー』の存在も無視できません。

 

『田辺エージェンシー』は芸能界やマスコミに隠然たる影響力をもっている事で有名です。

事務所の圧力や意向を汲んだメディアの自主規制ではないかと噂されています。

 

タモリは1945年8月22日生まれの77歳です。

このお年で元気ですねえ。

 

NHKのブラタモリは週に1度の放送です。

それと同じ頻度で、タモリは彼女のもとへブラリとやってくるのかどうか?

 

その後の報道がありませんから、そこな何とも言えません。

元気なタモリから、まだまだ目が離せません。

 

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