竹中直人が1996年のNHK大河ドラマ『秀吉』の主役に抜擢されたとき、世間は大いに驚いたものです。
彼は劇団青年座の出身ですが、テレビにはお笑い番組のモノマネでデビューしています。
得意だったのは松田優作さんや松本清張さんの物真似でした。
その後、徐々に俳優の仕事は増えるのですがどちらかというとコメディアン的な役が多かった彼が、いきなり大河ドラマの主役で、しかも秀吉役ですから驚くのも当然です。
ちなみに前年の大河ドラマ『八代将軍吉宗』では劇団青年座の先輩である西田敏行が主演を務めました。
『秀吉』の主演が決まる直前のことですが竹中直人はとても悩んでいたそうです。
ある不安感があったのだと言います。
当時は、俳優として個性を認められどんな作品に出演しても演技にはすぐOKが出て撮影は順調に進んでいきました。
ところが、本人はそれがとても怖くて、「このままでいいのか?」と考えてしまうのです。
もっと責任のある仕事をしなければいけないのではないかと自問自答したのだと言います。
そこで責任のある仕事とは何かと考えて竹中直人が思いついたのは、大河ドラマの主役だったのです。
大河ドラマの主役なら1年間同じ役を続けるから大いに責任を感じられるのではないか。
そのように思ったのだそうです。
なんと、それから数日後にNHKから『秀吉』のオファーが届くのですから、本人は驚くやら興奮するやらで、本当にうれしかったようです。
そして、竹中直人主演のNHK大河ドラマ『秀吉』は撮影が進み放送開始の運びとなります。
なんと、その第1話の放送で大事件が起きます。
大仁田厚が演じる蜂須賀小六が、ふんどし一丁の秀吉を担ぎ上げた瞬間でした。
真っ白なふんどしの横から竹中直人のアレが露出してしまったのです。
一瞬の出来事でしたが誰の目にもはっきりと映し出されていたのです。
翌日の月曜日には学校や職場でも話題になりました。
「確かに竹中直人の〇チンが映っていたよね」
「ふんどしからはみ出していたのは、〇ンポ〇でしょ」
などと盛り上がったのです。
そんな話の中で、最後はみんな疑問に思うのでした。
「NHKが横チンを知らずに放送したのか?」
「いや、知らないはずがない。編集したものを必ず、放送前にチェックするはずだから」
「では、どうして撮り直ししなかったのだろう」
「ぼかしくらい入れる時間は十分あるはずだ」
そんな、視聴者の声を代表して調査に立ち上がったのが写真週刊誌『FRIDAY』でした。
FRIDAYは「NHK『秀吉』で露出したアブナイ画像」という特集を組みます。
そして『秀吉』製作のチーフプロデューサーへ取材を試み、見事に成功します。
取材に対してチーフプロデューサーはハミ出しを知っていて放送したことをあっさりと認めました。
編集段階でスタッフの数人から指摘はされていたのだと言います。
しかし竹中直人演じる秀吉は、ふんどし一丁で恥も外聞もなく奮闘する設定でした。
そのようなコンセプトで撮影されたフィルムにボカシを入れることで演技の勢いがそがれてしまっては困る。
チーフプロデューサーはそのように考えたのだと言います。
さらには、視聴者がボカシに気を取られて、物語の流れが遮断されてしまう可能性だってある。
そう考えた結果、このくらいは許容範囲だろうと思い、そのまま放送したのだそうです。
当時のNHKとしてはとてもユニークで真剣味にあふれたプロデューサーだったのです。
ドラマのおもしろさのためになら、横チンも、ハミ出しもOKというプロ根性が見て取れます。
そしてこの事件の背景には、当事者である竹中直人の俳優哲学とでもいうべき思いも関係していました。
撮影に臨んだ時、秀吉のふんどしはしっかりと締められていたのです。
だが、竹中直人はこのように考えます。
「秀吉がこんなにきっちりふんどしを締めるはずがない」
そして、カメラが回る直前に自分で紐を少し緩めたのでした。
これがハミ出し横チンの原因となったのです。
そもそも、竹中直人はNHKの大河ドラマ『秀吉』で主役を務めるにあたり、このような思いを込めて役作りに没頭していました。
「ヒーローだって汚いところはある。
だが、いざ描くときになるとみんな恥になるからといって隠しちゃってるでしょう」
「そうじゃなくて、ヒーローだってみっともない男、汚い男なんだっていうのをやりたかった。
ふんどし一丁で走り回って、唾をペッペッと飛ばして、とにかくうるさい。
何だこいつはって思われるような、そんなぶざまな男にできたらどんなにいいだろうと思ってましたね」
確かにおっしゃるっとおり、ヒーローだって汚い部分、恥ずかしいところ、無様な面を持っています。
このドラマでは竹中直人演じる秀吉がセリフを言いながら唾を吐くのも話題になりまして。
それを思いや言葉だけでなく、実際に演じ切ってしまうのですから素晴らしい役者さんですね。
彼のそのような奮闘もあって『秀吉』は平均視聴率30.5%、最高視聴率37.4%の数字をたたき出して大ヒット作となりました。
当時はまだインターネットがなかったため、横チンはSNSなどで話題騒然といった事態にはなりませんでした。
もし、インターネットが今のように普及していたらどんな騒ぎになったのでしょうか。
もう一度、どなたかやって欲しい気がしますけどこれは竹中直人でなければできないことでしょうね。
この当時、竹中直人はアイドル歌手だった木之内みどりと結婚しています。
テレビに出ていたころの木之内みどりは清純派で笑顔がとても可愛い方でした。
その木之内みどりと竹中直人が出会ったのはスペインだったそうです。
1989年のことですが、劇団青年座は『写楽考』の海外公演でスペインに約1か月間滞在します。
その時に偶然出会ったのが木之内みどりでした。
一目ぼれして、お気に入りだったスペインの喫茶店に誘った時からすでに竹中直人は結婚相手として意識していたそうです。
その後二人とも帰国して、木之内みどりは仕事でニューヨークへ行きます。
竹中直人はニューヨークまで彼女を追いかけてプロポーズし、1990年に結婚しました。
はるか大西洋の向こうで恋に落ち、太平洋をまたいだプロポーズですから実にロマンチックなお二人です。
竹中直人と言えば忘れられないのが2021年の開催された東京オリンピックの開会式です。
本来なら7月23日の開会式で大工の棟梁を演じるはずでした。
しかし、前日に急遽辞退したのです。
理由は36年前に出演したビデオにありました。
竹中直人の所属事務所によりますと、1985年に発売したオリジナルビデオ『竹中直人の放送禁止テレビ』で竹中直人たちが白い杖を振りまわしながら横断歩道を渡って笑いをとる場面があったのだそうです。
これが障害者団体の批判を受け、代表して竹中が謝罪したのだと言います。
これを理由に竹中直人側から出演辞退を申し出たのです。
この開会式については作曲担当だった小山田圭吾が過去のいじめをめぐるインタビュー問題で辞退に追い込まれていました。
その直後から竹中直人は辞任したいと漏らしていたのですが、事務所は出演させたかったようです。
マネジャーが
「問題のある内容を企画やプロデュースしたのではなく演じたのだから次元が違う」
と説得しました。
しかし、開閉会式のディレクターを務める小林賢太郎さんが、ラーメンズ時代のコントでユダヤ人大虐殺のホロコーストを揶揄したことが発覚し、解任されてしまいます。
これが開会式前日のことでした。
竹中直人は改めて
「僕が関わることで関係者や選手など皆さんにご迷惑がかかる」
と辞退を決断しました。
確かにいじめとホロコーストは筋の悪い話ではあります。
正直なところ、竹中直人は割を食ったとも言えるのではないでしょうか。
だが、65歳を過ぎても彼の演技に対する意欲や情熱は全く衰えません。
いや、円熟味を増しながら野性味たっぷりの役者魂はさらに燃え上がります。
竹中直人からまだまだ、目が離せないようです。