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沢田研二が別離の息子と25年ぶりの再会!前妻の伊藤エミは立派な女性だ!

波乱の人生

沢田研二は、昭和40年代前半の日本歌謡界を席巻し『グループサウンズ』が生んだ大スターです。

ジュリーの愛称で親しまれ、ザ・タイガースのボーカルとして数々のヒット曲を世に送り出しました。

 

沢田研二を知るには、まず彼の歌手人生を知っておく必要があります。

沢田研二が歌手として歩んだ道を振り返ってみましょう。

 

 

ザ・タイガースのデビュー曲は1976年(昭和42年)発売の『僕のマリー』です。

この曲がヒットします。

 

2曲目の『シーサイド・バウンド』も大ヒットでザ・タイガース、沢田研二ともに人気が爆発しました。

 

続いて『モナリザの微笑』『君だけに愛を』などリリースする曲が次々と大ヒットして、世間の若者を興奮させます。

 

たちまちグループ・サウンズ のトップスターへと駆け上がったのです。

このころのジュリー人気は爆発どころか大噴火と言ってもオーバーではないほどのすさまじさでしたね。

 

中学生から高校生、大学生そして20代のOLさんなどともかく若い女性の熱狂ぶりは日本のポップス史上稀に見るほどです。

今のジャニーズやAKB以上の過熱ぶりでしたね。

 

だが、グループサウンズの絶頂期は短く、1971年(昭和46年)1月24日、日本武道館で行われた『ザ・タイガース ビューティフル・コンサート』を最後にザ・タイガースは解散します。

 

その後はソロ歌手として活動しますがここでも次々とヒット曲を飛ばします。

1971年11月1日発売のシングル『君をのせて』をリリースしてソロデビューしましたが、この曲の人気はいまひとつでしたね。

 

オリコン週間チャートでの最高位は23位でシングルの売上は10万枚でした。

並の歌手ならこれでも万々歳ですが絶対的人気を誇ったジュリーにしては物足りません。

大スターというのは厳しいのです。

 

だが、やはりジュリーです。

1973年4月21日発売の「危険なふたり』が大ヒットし、第4回日本歌謡大賞を受賞し、ソロ歌手としても十分通用することが証明されました。

 

また、この作品発表で話題を集めたのがファッションでした。

斬新な衣装と目元に施した薄化粧、そして独特なヘアスタイルが女性ファンを悩殺したのです。

 

翌1974年には『追憶』がヒットして、この年から。日比谷野外音楽堂でのコンサートを皮切りに「Julie Rock’nTour」と題し全国ツアーを開始します。

 

このツアーは現在も続いていて、2020年にはコロナの蔓延で中止しましたが、2021年には再開します。

 

沢田研二の歌はフランスでも人気になりました。

フランスのゴールデンディスク賞を日本人として初めて受賞する快挙も成し遂げています。

 

これをきっかけにフランス、イギリス、ドイツ、ベルギー等でシングル盤を発売しています。

また、ハワイ、グアム、シンガポール、香港でコンサートを開催するなど、国際的な人気を誇る日本では数少ない歌手でもあります。

 

そんな、日本のポップス界を代表する沢田研二さん。

実は現在の奥さんとは再婚で、離婚歴があります。

 

最初の奥さんは伊藤エミさんとおっしゃる、双子のデュエットで有名な『ザ・ピーナッツ』のお姉さんの方です。

ザ・ピーナッツの歌唱力は素晴らしかったですね。

 

『恋のバカンス』『ウナセラディ東京』『ガラスの城』『恋のフーガ』『ブーべの恋人』など、ヒット曲はたくさんあります。

 

その他にも、映画出演からテレビのバラエティ番組など幅広く活躍したデュオです。

特にバラエティ番組の走りと言われる日テレの『シャボン玉ホリデー』の司会は伝説になっています。

 

フジテレビの人気番組『夜のヒットパレード』には番組スタートからの6年間で40回出場の実績を誇る実力派歌手でした。

その伊藤エミさんと沢田研二は1975年6月4日に比叡山延暦寺で結婚式を挙げています。

 

この時二人はすでに入籍を済ませていましたが、二人の結婚は日本中を驚かせます。

沢田研二さんは1948年(昭和23年)6月25日生まれで、伊藤エミさんは1941年(昭和16年)4月1日生まれと、花嫁が7歳年上であったこともさらに衝撃を大きくしたのです。

 

今では年の差カップルは珍しくも何ともありませんが当時、花嫁が7歳上というのは、あまり例がありませんでした。

テレビや週刊誌などのメディアも二人が交際している事さえ知りませんでした。

 

ザ・ピーナッツは二人の結婚に先立つ1975年4月に解散していますが、この時でさえ結婚を確信したメデアはなかったようです。

そして、二人の馴れ初めについてはいまだに明らかになっていません。

 

1979年3月、伊藤エミさんは男の子を生みます。

奥さんのエミさんにとっては、このころが短かった幸せの絶頂期だったかもしれません。

 

やがて沢田家は修復困難な事態を迎え、家庭は崩壊するのでした。

1983年6月、夫・沢田研二の不倫が週刊誌にすっぱ抜かれます。

 

相手は前年、映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演した女優の田中裕子でした。

週刊誌がかぎつけた頃は、すでに沢田研二が家を出ていて、田中裕子と同棲していました。

 

そして、田中裕子、この女の強気がスゴイ!

メデアの取材に対して「私はこの人と必ず結婚します」と宣言します。

 

伊藤エミさんに対する宣戦布告ですね。

これぞ、まさしく略奪愛です。

 

代理人を間に入れ話し合いを続けた結果、泥沼のような争いは回避されて、伊藤エミさんは離婚に同意します。

 

家が隣同士で二人の大先輩であり、良き相談役だったハナ肇さんはこのように言っていいます。

「本人の望むようにしてあげるのが愛の 証しだ。エミちゃんは、そう言って離婚届に判を押したんだよ」

 

7歳年上の矜持を見せたのでしょうか。

それにしても、他人にはうかがい知れない決断だったと思います。

 

沢田研二は田中裕子と不倫関係になって着の身着のままで家を出たっきり二度と戻ることはありませんでした。

東京世田谷の豪邸、別荘など約18億円の財産が慰謝料として、母子に渡されたと言います。

 

この時、一人息子は8歳でした。

歳月は流れ、メデアには決して登場しなかった伊藤エミさんが癌でなくなっていたことが報じられました。

 

2012年6月のことでした。

彼女はガンが進行していたことを知りませんでした。

転倒して腰を強く打ち精密検査を受けったことでガンが判明したのです。

 

すぐに入院しました。

しかし、ガンの進行は速く、発見からわずか1ヶ月後に亡くなってしまったのです。

 

このとき、伊藤エミさんが最後まで澤田姓を名乗っていたことが話題になりました。

沢田研二を愛し続けたから苗字を変えなかったという説を主張する人がいたのです。

だが、小学生で別れた子どものことを考えた結果だと思います。

 

離婚して小さな子どもを引き取った母親の多くは結婚していた時の名前を名乗ります。

苗字を変えると修学中の子どもはいろいろ手続きがあって面倒なのです。

 

急に苗字を変えると子どもがいじめにあうと心配するお母さんもいるほどです。

今となって伊藤エミさんの本心を知るすべはありませんが。

 

月日はさらに流れます。

別れて25年ほど過ぎて沢田親子は再会を果たします。

 

この時、一人息子の澤田一人さんは、母親が残した沢田研二さんへの最後のメッセージを携えていました。

コンサート会場の楽屋を訪れ沢田研二へ直接手渡したそうです。

 

25年ぶりの再会。父と子は互いに何を考えるのでしょうか。

どんな会話が交わされたのでしょうか。

 

手紙にはどんなことが書かれていたのでしょうか。

気にはなりますが、調べるすべはありません。

 

それにしても切ない話ではありませんか。

離婚してすでに20年以上がたち、病で倒れた女性が元夫へ最後のメッセージを残して亡くなる。

 

託されたのは二人の間に生まれた一人息子。

伊藤エミさの深い配慮と愛情は涙なしには語れまません。

 

そこには大スター沢田研二を一生忘れることのなかった一人の女性と別れ別れになった父と子を合わせてやりたい、そう願う母の姿がダブって見えるのです。

 

そして「パパはいつ帰るの?」と毎日のように聞く幼い息子に父親の悪口など一切いわなかっただろうとも想像できるのです。

 

だから、恩讐を超えて息子は父の楽屋をたずねることができたのでしょう。

伊藤エミさんは実に立派な女性であり、母親だったのではないでしょうか。

 

さて、沢田研二には強いポリシーがあるようです。

彼はコンサートで、グループサウンズ時代は勿論のこと、ソロになってからの古いヒット曲もめったに歌いません。

 

何故、昔のヒット曲を現在のコンサートであまり歌わないのか?

その答えは、彼は常に現役のロック・ミュージシャンでありたいと願っているからです。

 

現役のロック・ミュージシャンのルーティン・ワークは、ニュー・アルバムを発表し、ツアーを行うことだ。

 

彼は強くそう思っているのです。

だから、沢田研二さんは毎年のようにニュー・アルバムをリリースし、ツアーを行います。

やはり格好いい男ですね、ロックミュージシャン・沢田研二は。

 

そして気になるのが沢田研二の現在の年収です。

絶頂期の彼の年収は2億円を超えていました。

 

現在はそこまではいきませんが、コンサートやツアー、印税などを含めて、かなりの額だと推定されます。

 

伊藤エミさんは、天国から今も沢田研二を見守っているのでしょうか。

ロックミュージシャン・沢田研二はまだまだ、頑張ってくれるでしょう。

 

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