色白の細面にすらりとした182cmの長身。
いつまでも若々しい佐々木蔵之介は、どんな役をやっても育ちのよさを感じさせます。
だが、彼の私生活はデビュー当時から厚いベールに包まれていたのです。
最後の大物独身俳優とも言われたのですが、ついに結婚しました。
大学時代には劇団サークルに所属し、社会人になってからも劇団で活動を続け、仕事と両立させました。
劇団員と言っても、彼の場合はいわゆる下積みの貧乏劇団員とはかなり違います。
佐々木蔵之介は俳優になるつもりはなく、酒蔵を継ぐはずだった?

そもそも佐々木蔵之介は、将来の役者を目指して演劇サークルに入ったわけではありません。
商売人として商談などで気後れしないよう、人前で話すことに慣れておきたい。
それを目的として演劇を選んだのです。
佐々木蔵之介の父は京都で130年以上続く、酒蔵の三代目でした。
1968年2月4日、その老舗酒蔵の次男として生まれます。
今年54歳です。
小、中、高校と京都で学び、東京農業大学へ進学しました。
その後、神戸農業大学へ編入し、劇団サークルへ入ります。
芸名の佐々木蔵之介はこの頃すでに決まっていました。
お父さんのアイデアから生まれたのです。
尊敬する忠臣蔵の『大石内蔵助』と、我が家の商売から発想して名づけられました。
ちなみに蔵之助の本名は『佐々木秀明』です。
佐々木家の長男は東大で建築学を学び、将来は設計士を目指していたので、次男の蔵之介が酒蔵の四代目を継ぐことになっていました。
両親ともに大いに期待し、本人もその気満々で演劇を続けながら将来に備えていたのです。
農学部では酒米について学びました。
大学卒業後は広告代理店の大手である大広に就職します。
広告代理店を選んだのも、酒蔵の4代目を継いだ時、販売戦略などに役立つだろうとの考えからでした。
大広本社のある大阪勤務だったため、学生時代からの演劇も続け仕事と両立させます。
なお、大広の同期入社に『ますだおかだ』の増田英彦がいました。
このころは、3代目である父との関係も良好で、実に順調な青春時代を過ごしています。
だが、どんな人生でも予期しないことが起きるものです。
大阪の劇団で演劇を続けていた佐々木蔵之介に東京の有名劇団から声がかかります。
就職してから2年半が過ぎていました。
この舞台に立つには、稽古を含めて3か月以上スケジュールを当てなければなりません。
俳優になる気がなかった蔵之介は最初のオファーを断りました。
だが、出演依頼は再三再四に及びます。
この熱意に心が徐々に反応し始めたのです。
だが、どう考えても仕事と両立は無理でした。
会社を辞めてでも舞台に出るべきか。
心が揺れに揺れた蔵之介でしたが、自分の中に役者への熱い思いが燃え上がっていくのを消すことはできません。
そして決断します。
自分の熱い想いに従うことに決めました。
会社を退職し、舞台俳優として生きていくことを決断したのです。
辞表を提出すると直属の上司は
「3か月間の休暇をとって、公演終了後に復帰したらどうか」と説得します。
だが、翻意することはありませんでした。
演技の道を中途半端にはできなかったと言います。
同時にそれはまた、家業の跡継ぎを断念することを意味しました。
蔵之介は父・勝也さんと対面し、自分の決意を伝えます。
予想通り、激怒されました。
「二度と俺の前に顔を出すな」
このように言われ、勘当同然に家を追われたのです。
家を追われたら、もう役者の道を一直線に進むしかありません。
やがて蔵之介は劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加しました。
劇団は関西を中心に人気となり、蔵之介は、スタート時から中心劇団員として活躍します。
父との断絶は約二年に及びました。
この間には佐々木家の4代目は三男が継ぐことが決まっています。
父には男の意地があったのでしょう。
跡継ぎが決まっても、蔵之介に対して実家への出入りを許さず、役者をやっていることも近所には黙っていました。
だが、血の繋がった父子です。完全に絆が断ち切れることなどありえません。
「あの子を応援しましょう」
母親がそう説得し続けます。
NHKの連ドラ『オードリー』出演で父と和解!
父・勝也さんの心は徐々に氷解していきました。
親子断絶から2年ほどたったころ、実家への出入りが許されたのです。
雪解けが決定的になったのは、蔵之介がNHKの連続テレビ小説『オードリー』に映画俳優役で出演した時のことでした。
2000年10月のことです。
父の喜びようは尋常ではありません。
なんと事務所や店に『オードリー』のポスターを壁いっぱいベタベタと貼り付けたのです。
それを見て近所の人がはじめて、
「あれは佐々木さんとこの息子さんだったのか!」と気づいたといいます。
お父さんの喜ぶ様子が伝わってきますね。
本当は意思の固かった息子を、心の中ではずっと応援していたのではないでしょうか。
だが、老舗の三代目としてのプライドや威厳が邪魔をして上手く表現できなかったのかもしれません。
そして、やはり父は商売人でした。
『オードリー』と名づけた日本酒を期間限定で販売します。
これが大ヒットしました。
佐々木酒造創業以来の売り上げを記録する人気商品になったのですから、見事ですね。
蔵之介もこれ以降は、時間を見つけては実家に帰るようになります。
帰省のたびに大量の酒を持ち帰ります。
共演者に佐々木酒造の酒を配るのが恒例になったのです。
父・勝也さんは躾がとても厳しい人でした。
子供たちがが悪さをすると、家の蔵に閉じ込めて反省させるような昔気質の親父です。
だから3人とも礼儀正しくて勤勉で、とても優秀だったと近所の方たちは口をそろえます。
その父・勝也さんが亡くなったのは、2016年2016年10月10日のことです。
京都市内で営まれた告別式で蔵之介は、涙で何度も言葉を詰まらせながら、弔辞を読み上げました。
「生真面目で、厳しい父でした。夕飯ができあがっていても、帳簿が終わるまでは絶対に子どもたちにも食べさせてはくれませんでした」
「僕が役者で生きていくと言った時、父は落胆し、心底悲しんでいました。
父を裏切ってしまった。そう思いました」
実は、この親子ですが2011年に日野自動車のCMで父子共演を果たしています。
勝也さんの葬儀で飾られた遺影は、この時に撮影されたものだったのです。
まあ、いろいろありましたが、結果的には親孝行したと思います。
四代目は弟さんが立派に継いでいるし、佐々木蔵之介は、日本を代表する俳優になったのですから。
タレントでもないお父さんが息子と一緒にCMに出るなど、そう簡単にできることではありません。
とても良い思い出だったことでしょう。
ハンチョウシリーズで人気沸騰の佐々木蔵之介がついに結婚!
佐々木蔵之介と言えば、2009年に始まった刑事ドラマドラマ『ハンチョウシリーズ』です。
人情派刑事ドラマで6人の刑事たちの奮闘を描いています。
シリーズ6まで放送され、主演を務めた佐々木蔵之介をスターダムへ押し上げた作品です。
竹野内豊と並んで最後の大物独身俳優と言われていた佐々木蔵之介ですが、2021年10月に結婚したことを発表しています。
結婚相手は「最後の砦を崩した女性」として存在が注目されました。
だが、一般女性ということもあり、蔵之介の結婚会見もなく、その実像はベールに包まれたままです。
年齢、職業など詳細については一切わかっていません。
あまりにも情報がないためネットではファンを中心に、かつて写真誌のフライデーが熱愛をスクープした女性ではないかと囁かれていました。
大阪のバーでナンパしたという菅野美穂似の『リケジョ女』のことです。
親密そうな二人は、2014年に目撃されています。
調べてみましたが、どうやら同一人物では、ありません。
佐々木蔵之介の私生活は、相変わらず厚いベールに包まれています。
これまで、いろんな女性と噂になりましたが別れた時期や付き合っていた期間さえハッキリしている相手は、誰一人いません。
結婚した相手とも実は10年以上付き合っていました。
これは彼自身が言っていることですから間違いはありません。
モテて、モテて仕方なかったでしょうから、大したトラブルもなく結婚できててメデタシメデタシではないでしょうか。
彼はテレビや映画に引っ張りだこの人気者ですが、自分の本拠地は舞台だと常々言っています。
結婚によって私生活も落ち着いたことでしょうから、舞台を中心にさらなる活躍を期待いたしましょう。