左派の終焉?野党も学者もメデアも小沢一郎頼りでは一巻の終わり

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菅さんが圧倒的な強さで自民党総裁に選ばれ、その後内閣総理大臣に就任した。

久しぶりにテレビ中継を見ましたが、それにしてもTVメデアの劣化は恐ろしいほどですね。

 

一方、選挙互助会の野党第一党の党首選びも何日か前にありました。

こちらは枝野さんの圧勝でした。

 

だが、党名も変わらず、党首も一緒。

新鮮味が全くなくて、改めて『選挙互助会』の離合集散だったことを裏付けていました。

 

元外交官の宮家邦彦さんが言っていました。

「誰が見たって“一見民主党”ですね」

 

『一見民主党』『そのまんま民主党』には例によって、小沢一郎が一枚かんでいる。

小沢一郎は、今や日本一の無節操政治家だ。

 

野党もメデアも評論家も学者も、日本の左ウイングはこの変節漢を頼るしかなのだから、今回の離合集散は断末魔のもがきに見えてしまう。

 

小沢一郎は一見、重宝されているように見えるが、政治家とは非情なもの、人の運命とは過酷なもの。

彼を待ち受けるのは、枝野党首からのポイ捨てだろう。

メデアの劣化が野党の怠慢と堕落を招いた

空母

小沢一郎は安倍首相及び安倍政権を徹底的に批判してきた。

そして、今度は就任した当日から菅首相への口撃を始めた。

 

『権力の私物化』『お友達内閣』『仲間優遇』『民主主義の破壊』『国民との声を聴かない』『国民から生活から遊離している』などが主な批判だ。

 

だが、これらのことは40代で自民党幹事長の要職についてから、すべて小沢一郎自身がやってきたことだ。

 

小沢一郎の辿って来た道を知っている者ならだれでも思うだろう。

「天に唾するとは、まさにこのことだ」

 

中曽根政権末期から金丸信、竹下登、小沢一郎が徒党を組み、金・竹・小:コンチクショウと呼ばれて、やりたい放題やって自民党を崩壊させた。

 

小沢一郎は大衆は忘れてしまうを徹底的に利用した政治家だ。

 

自民党時代に小沢一郎が主張したのは大きな政府、憲法改正、自衛隊を国連軍参加させる、だった。

 

これが彼の政治的主張だったことを覚えている人は少ないだろう。

1990年(平成2年)8月、湾岸戦争が勃発する。

 

すると小沢はペルシャ湾への自衛隊派遣を目論んだ。

「アジア諸国へ配慮すべきだ」

と言って反対する外務省や、海部俊樹首相の慎重論を抑えて法案提出に踏み切った。

 

しかし、当時は参議院で野党が過半数を占める、いわゆるねじれ国会であったため、法案は否決され廃案になる。

 

法案否決後、小沢はことあるごとに言った。

「日本はなぜ普通の国になれないのか」

 

彼の言う普通の国とは、自国及び同盟国の有事に際して自衛隊が出動できる仕組みを持つ国。

湾岸戦争に関して言えば、アメリカ軍を側面から支援し、日本の生命線ともいうべき石油輸送のタンカーを守ることだった。

 

これは実にまっとうな考え方だ。

しかし、これを安倍首相がやると屁理屈をつけて大反対するのだから、変節漢もここに極まれりだろう。

 

憲法改正にしても全く同じロジックだ。

自分の手で改正できるなら強引であろうが、我がままであろうが一向にかまわないけれど、他人の政権でやられるのは何が何でも阻止したい。

 

1991年(平成3年)の都知事選では、鈴木俊一氏の4選を阻止しようと元NHKアナウンサー磯村尚徳氏を擁立する。

 

しかし、プロレスラーのアントニオ猪木氏が公示直前に出馬を宣言。

慌てた小沢はアントニオ猪木氏に直接会って出馬を断念させた。

 

これには裏で巨額の金が動いたと複数のメデアで報道された。

被選挙権を金で買った形跡は否定できない。

そして、選挙では擁立した候補が大敗したのだった。

 

竹下内閣が倒れた後の総裁選においては、宮沢喜一氏、渡辺美智雄氏、三塚博氏の3人を自身の個人事務所に呼ん面談したが、その時もメデアに叩かれたものだ。

 

こんなこともあった。

三井グループのドンと呼ばれた小山五郎氏はある日、自民党幹事長室に小沢を訪ねた。

 

会談が終わった数日後、ドン小山氏はメデアにぶちまけている。

「小沢さんは私と話している間、机に座ったままで手を動かし続け、一度たりとも顔をあげなかった」

 

「お宅のグループの社長で自民党には協力できないと言う人がいるけど、どうなっているんですか?」

小沢が父親ほども年上で大先輩の小山五郎さんに悪態をついた原因はこれだった。

 

三井グループの社長が自民党に協力できないというのは、要請された政治献金額があまりにも多額で、そんなには出せないということだ。

 

小沢は自民党幹事長時代に300億円の選挙資金を財界から集め、衆議院選に勝利したというから、相手を脅しての金集めには素晴らしい才能があったのだろう。

 

小沢一郎は細川政権樹立以降、こう言ってはばからない。

「日本には政権交代可能な二大政党が必要だ。

そのためには自民党という岩盤を破壊することなしに、システムの刷新はできない」

 

これもご立派な考えである。

政権交代は必要だ。

 

この考え方を『安倍は叩き斬ってやる』の暴言で有名な、山口二郎などの学者や評論家が支持し、小沢一郎を信奉するのだ。

 

だが、『選挙互助会』として野党の離合集散を繰り返しているだけで、自民党の岩盤を崩せると思っているのだろうか?

とても不思議な考えです。

 

小沢一郎はここでも、大衆は忘れる、を狡猾に利用しているのだからたまらない。

細川政権樹立のいきさつを見れば、小沢のインチキが分かる。

 

リクルート事件で竹下内閣が倒れた後は、東京佐川急便事件で金丸信が世論から激しい批判を受け派閥会長を辞任。

議員辞職にまで追い込まれた。

 

これにより、自民党を支配した金、竹、小は完全に崩壊し、竹下派の後継会長選びに突入した。

小沢を中心に渡部恒三、奥田敬和らは羽田孜を擁立し、橋本龍太郎、梶山静六らは小渕恵三を推した。

 

竹下派七奉行と言われた実力者が真っ二つに割れ、激しく対立したが小渕恵三の会長就任により、小沢一派は敗れ去った。

 

敗者小沢らはこれに反発して新たな派閥はを立ち上げ、田中角栄以来続いた鉄の結束は崩壊。

権勢を誇った自民党最大派閥はついに分裂した。

 

そして、非主流の少数派閥に転落した小沢は冷や飯を嫌い、自民党を出て新政党を結成。

1993年(平成5年)8月、日本新党、新党さきがけ、新生党、社会党、公明党、民社党、社会民主連合、民主改革連合が結集して細川政権が誕生した。

 

この流れを見ていただけると分かるが、小沢一郎は戦いに敗れて自民党を去ったのだ。

もし、羽田擁立が成功して主流派を維持できていたならば、彼らは自民党内にとどまっていたことは想像に難くない。

 

勝っていたら、あのまま自民党の岩盤の上でのうのうとしていたわけだ。

つまり、小沢一郎が言う『自民党の岩盤を突き崩して新しいシステムに刷新する』は、後からとってつけたのに過ぎない。

 

近年の彼の行動に一貫性がないのは、このような背景に因るのは明らかだ。

最初から小沢にとって二大政党制など、実はどうでも良いのだ。

 

その名目を借りて、にっくき自民党に復讐をしたい。

私的怨恨を二大政党という衣で覆い隠しているに過ぎなのだ。

 

人は誰でも考えは変わる。

思想の転向があっても責められるべきではない。

 

しかし、国民から選ばれた国会議員であれば、そこらあたりはハッキリとした釈明が求めれれて然るべきだ。

 

しかも、首相や政権に口を極めて説明責任を求めるなら、自らの説明責任を果たすのが政治家としての使命だろう。

 

自民党時代に小沢一郎が主張した大きな政府、憲法改正、自衛隊を国連軍参加させる、から心変わりした理由を尋ねるメデアは皆無だ。

 

大衆は忘れるが、メデアはとぼけるのが得意なのだ。

一部の左翼評論家や学者に至っては、自分に都合悪いことはなかったことにできるのだから、恐ろしい。

 

それにしてもだ、平成以降に行われた野党の離合集散で小沢の影響を受けなかったのは、希望の党のごたごたなどごく少数だ。

 

いつまでたっても小沢一郎の影から逃れられない日本の野党。

若手リーダーが全く育っていない何よりの証明であろう。

 

メデアは本当に日本の現状なり将来が心配なら、小沢一郎を持ち上げる前に若手の育たない野党の現状を憂いるべきだ。

 

本心を隠して政治を行うものは必ず、人や組織を個人のエゴに利用しようとたくらむ。

結果、露見して組織を追われる。

 

小沢一郎が枝野・立憲民主党からポイ捨てされるのはそう遠くはない。

国民民主党の玉木代表は恨みを買うことなく、そこは実にうまくやったように見える。

 

かつて派閥の主導権争いで激しく小沢一郎と対立した側の中心人物であった、梶山静六氏を菅新首相は師と仰ぐ。

 

小沢にとって、いわば仇の愛弟子が総理大事になったのだ。

菅総理は安倍前総理よりも憎い存在だ。

 

口撃はさらに激しさを増すだろうが、冷静で周到な菅総理にとっては過去の人であり、安倍さん同様無視を貫くだろう。

 

しかし、それにしても人生なんて誰にも分らない不可解なものだ。

昨年ならいざ知らず、2年前に菅総理を予想した人はこの日本に一体何人いただろう。

 

菅さんの真骨頂は『絶対に諦めない』ことだという。

あなたも、あきらめなければ夢は必ず叶うのです。

 

 

 

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