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中村玉緒の息子と娘を次々に襲った悲劇!勝新太郎と離婚しなかった理由とは?

波乱の人生

中村玉緒は歌舞伎一家、いわゆる『梨園』育ちです。

父は歌舞伎俳優の二代目中村鴈治郎ですが、この方は映画出演が多く、貴重な脇役でも有名でした。

 

兄には歌舞伎俳優の四代目坂田藤十郎がいて、また、その子供には四代目中村鴈治郎と三代目中村扇雀兄弟がいます。

 

ということで、中村玉緒さんは良家のお嬢様だったのです。

そして夫はご存じ、日本を代表する昭和の名優『座頭市』でおなじみの勝新太郎さんでした。

 

二人は1962年に結婚しています。

この結婚が中村玉緒に多くの苦労をもたらすことになるのでした。

 

人生を語るうえでよく使われる言葉が『波乱万丈』です。

芸能人の方にはこの『波乱万丈』の人生を歩む方がとても多く見受けられます。

 

中村玉緒さんもその一人です。

いや、彼女の人生は波乱万丈を超えた、波乱万万丈とも言えるのではないでしょうか。

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中村玉緒の人生は夫・勝新太郎に翻弄された?

よくぞここまで耐えられたものだ、と思わずにはいられないほど多くの苦労を潜り抜けてきたのが彼女の人生です。

 

中村玉緒の嵐に翻弄され続けた人生を理解するためには、彼女の経歴を知る必要があります。

簡単にたどってみましょう。

 

彼女は1939年京都に生まれます。

本名は林玉緒で、結婚して奥村姓に変わりました。

 

1953年14歳で松竹映画『景子と雪江』に初出演しています。

だが、その後は映画界から全くお呼びがかかりません。

 

どうしても女優になりたい彼女は、

親戚で大映の大スターだった長谷川一夫に頼み込んで1954年、大映へ入社します。

 

紹介してくれた長谷川一夫は当時、大映の役員を兼ねていたので、中村玉緒は優遇されました。

初年度の給料2万円は当時としては破格で、ハイヤーで撮影所に通っていたと言います。

 

だが、主役は回ってきません。

1970年代に入るとテレビドラマに進出し脇役として活躍します。

気苦労が絶えないながらも健気で気丈に生きる母親役を演じ、次第に評価は高まりました。

 

 

まるで彼女の人生を象徴するかのようですね。

そして、1994年のことです。

 

明石家さんまさんが司会を務めるバラエティ番組『明石家多国籍軍』に出演し、周囲が唖然とするような、天然ボケを連発します。

この強烈な天然キャラがテレビファンに大うけし人気が爆発するのです。

 

全国のファンだけでなく、さんまさんやスタッフにも好感を持たれ、さんまさんの番組には欠かせない存在となりました。

するとドラマや舞台、CMから次々と声がかかります。

 

こうして一躍、中村玉緒は国民的スターへ登り詰めるのです。

女優としては揺るぎない地位を獲得した彼女ですが私生活では苦労と波乱の連続でした。

 

ご主人の勝新太郎が破天荒というか、無鉄砲というか、次々にやらかしてくれるのです。

もう、不倫や愛人問題なんて日常茶飯事で、ご飯を食べるような感覚で浮気する男でした。

 

しかし、中村玉緒は彼の女性問題に対してあまり意に返さないそぶりを貫きます。

ところが、女性問題にとどまらないのが勝新太郎という男。

 

大きな借金を抱えて個人事務所が倒産。

その他にもコカインや大麻事件など、次々と大騒動を起こして妻を悩ませます。

 

勝新太郎さんは1997年6月21日、65歳で亡くなったのですが、その後に残された借金は14億円と言われています。

玉緒さんは借金返済のために身を粉にして働かなければなりませんでした。

 

それでも、彼女はこのように言います。

「勝新太郎とは、生まれ変わっても、もう一度一緒になりたい」

素晴らしい夫婦愛というべきなのか、不思議と言うべきなのか。

 

あれほど苦労させられながら、このセリフです。

もう「恐れ入りました」というほかありません。

夫婦のことについて二人以外にはわからないのが正直なところではないでしょうか。

玉緒が勝新太郎と別れなかった理由とは?

ただ、勝新太郎という方は、むやみやたらと破天荒な行動ばかりの人ではありませんでした。

やはり、女性を泣かせるような気遣いとやさしさを備えていたのです。

 

例えば、こんなことを言っています。

「中村玉緒は勝新太郎無しでも存在し得るが、勝新太郎は中村玉緒無しでは存在し得ない」

これはもう、妻に送る言葉としては最高の賛辞と言えますね。

 

ところが、玉緒さんはこの言葉を直接は聞いていませんでした。

亡くなった直後に知人から聞いたのです。

「生きている時に言ってくれれば…」彼女は思わず、そのように漏らしたと言います。

 

また、このようなこともあったようです。

中村玉緒さんが風邪で寝込んでしまったときのことでした。

高熱で苦しむ玉緒さんを少しでも元気づけようと、勝新太郎はいろいろ思案します。

そこで考えついたたのが、彼女の好きな渡哲也の歌声を生で聞かせることです。

 

渡哲也は銀座を飲み歩くのが好きでした。

そこで勝新太郎は渡さんが居そうな銀座の飲み屋を一軒一軒しらみつぶしに探し回ります。

 

ようやくの思いで見つけるといきなり土下座したのです。

高熱で苦しんでいる玉緒さんのために一曲歌ってほしい、と懇願された渡さんは、二つ返事で快諾します。

 

こうして、店の電話から玉緒さんのために『くちなしの花』を歌って聞かせたのです。

彼女はあまりにも型破りな夫・勝新太郎さんを嫌いにならなかった理由の一つとしてこのエピソードをあげています。

また離婚しなかったことについてもよく聞かれますが、このように答えるのです。

「その日その日、目の前のことを解決するだけで精いっぱい。離婚する暇がなかったんです。

本当に、どういうはずみで離婚したらいいのかわからない感じでした」

 

そして、彼女は夫が残した借金返済のためにバラエティー番組へ出演し、自らプロデュースした着物を販売するなどして完済してしまうのですから、いやもう大したものです。

 中村玉緒の子どもを相次いで襲った悲劇!長男との寂しすぎる別れ

だが、中村玉緒の苦労はまだまだ続きます

運命とは、実に厳しいものです。

彼女には子どもが二人いて、長男を一人前の俳優に育てることが悲願でした。

何とか売れて欲しいとの思いからバラエティー番組で共演することもあったのです。

 

ですが、彼女の想いは届きません。仕事のために長男は積極的に動かないのです。

そこで彼女はある決断を下します。 

2017年頃のことです。

 

自分のそばにいたらいつまでも自立できないと判断した彼女は、長男への経済的な援助を打ち切ります。

ところが、なんということでしょう。

 

そんなことがあってから、わずか2年ほどで、長男は亡くなってしまったのです。

急性心不全でした。

 

溺愛していた息子さんに先立たれてしまったのです。しかも、彼の将来を考えて突き放してからわずか2年後のことでした。

中村玉緒の心中は察して余りあるものがあります。

今度は長女が車いす生活で中村玉緒が逆介護!

悲劇は続きます。

そんな中村玉緒を支えていたのが、長女です。

今度はその長女が病に襲われます。

 

お嬢さんは女優をしていた時期もありましたが近年は、中村玉緒さんの個人事務所の社長として母を陰で支えていました。

しかし、お嬢さんは病気になり車いす生活を余儀なくされます。

81歳になった中村玉緒が逆介護をしなければいけない事態に陥ってしまったのです。

 

タワーマンションで同居して、お嬢さんの面倒を見ていた中村玉緒ですが、その後同居を解消します。

同居を解消した原因については、わかっていません。

中村玉緒83歳の孤独

今年2022年10月13日発売の『NEWSポストセブン』に気になるニュースが載っていました。

83歳になった中村玉緒が深夜徘徊していると警察に通報があったと言うのです。

 

記事によれば7月下旬のある朝、サンダルを片方しか履いていない中村玉緒さんを近隣住民が発見しました。

本人が「家がわからなくなっちゃった」と話したため、交番へ連れていったと言うのです。

 

さらに8月中旬の深夜にも、裸足で出歩く中村玉緒さんを見かけ交番に通報した人がいるようです。

お嬢さんと別れて現在は一人暮らしをしています。

心配ですね。

 

また、近所づきあいもほとんどないと週刊誌は伝えています。

「近所に頼れる人がいないのでしょうか?とても心配です」

など、ツイッターでも心配の声が上がっていました。

 

これまで幾多の困難を乗り越え、どんなことがあっても泣き言一つ言わずに笑顔を絶やさなかった中村玉緒。

もう一度、あの笑顔をテレビで見たものです。

 

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