いま、日本中の中居正広ファンが、かたずを飲んで見守っているのは、彼の病状でしょう。
本当に心配ですよね。
中居正広は2022年11月4日に1カ月間の活動休止を発表します。
しかし、復帰を果たすことができず12月2日には年内の活動休止を発表しました。
その理由がとても気になります。
注:体調不良のため休養していましたが1月14日、テレビ朝日系の情報番組『中居正広のキャスターな会』で復帰しました。
だが、体長は本当に万全なのか、気になるところです。
仕事の量減らして、体力の温存に努めるべきだと思います。
中居正広は盲腸癌を手術した?
中居正広は休養中、体力と筋力の回復を図ったのですが、コンディションが整わず2022年内の活動を終了し、静養に専念すると言っていました。
体力だけならまだしも、筋力が回復しないと言ってますから、大きな手術を受けて長い期間ベッドに横たわっていた可能性があります。
12月11日放送の『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞2022』にVTR出演しましたが、これがまたファンの心配を呼ぶ結果になってしまいました。
洋服の上からでも激やせした様子がわかり、頬や首元までやせこけているのがVTRを通してハッキリと伝わったのです。
この画像はたちまちネット上で拡散されます。
「中居正広がかなり痩せている」
「癌なのでは?」と心配する声が上がりました。
癌ではないかと心配する声が多いようですがこれには理由があります。
2022年10月26日に『デイリー新潮』によって中居正広が極秘で盲腸がんの手術を受けていたと、ネットで配信されました。
翌日には『週刊新潮』も同じ記事を報じています。
この二つの記事によって、ファンの間に一挙に動揺が広がったのです。
新潮の報道によると手術は当初の見立てよりも体への負担が重いものとなり、入院期間が長引いてしまったようだと言っています。
しかし、この記事に対しては中居ファンだけでなく多くの人がSNS上で反発しました。
「プライバシー侵害にもほどがある!」
「中居くんの新潮報道は極めて問題の大きなプライバシー侵害ですよね」
「中居くんの報道の件良くないと思う。本人も公表してないのに病名まで記事にしてしまうなんてあり得ない」
この予想以上の大批判には、新潮もあわてたようです。
ネットに配信された当初は『がん』の記載があったのですが、数時間後には「深刻な病」に表現が変わっていました。
またSNSには、彼を励ます投稿も多く見られます。
「中居くん、がんって報道があるけど、がんになっても元気に回復している人はたくさんいる。だから、どうか元気でいて欲しい」
「中居くん、無理しないでしっかり病気を治してほしいな」
などなど、たくさんのコメントが寄せられました。
男女を問わず、年齢層も広いことから、中居正広の人気の凄さが伝わってきます。
「くん』付けで親しみを込めて呼ばれるところも彼らしいですね。
彼のファンが病気に対して過敏になるのも無理からぬところなのです。
中居正広は過去にも何度か病気で休養したことがあります。
このことをよく知っているファンが多いからなお、心配になるのでしょう。
彼の主な病歴は次のようになっています。
2015年6月に喉のポリープを摘出しました。
2017年1月には肺炎で10日間の入院と休養を余儀なくされたのです。
また、2022年7月には急性虫垂炎で2日間入院します。
そして、『新潮』の報道によりますと、2022年9月に盲腸癌の腫瘍を摘出しました。
これにより、2022年10月の『中居正広のニュースな会』を2週連続休みます。
さらには冒頭で述べましたように2022年11月4日には1カ月間の活動休止を発表しました。
その後、詳しい日時は分りませんが2022年11月に盲腸癌の再手術したと新潮に書かれています。
中居正広は子ども時代の貧乏生活で気遣いとリーリーダシップを身につけた!
中居正広はとても責任感が強く細やかな気遣いのできる人だと評判です。
例えば、彼がジャニーズ事務所から独立後、『新しい地図』の3人から共演の話がたびたび来ていると言います。
だが、ずっと断り続けているようです。
4人だけが仲よく共演すると木村拓哉をノケものにしている印象を与えてしまうから、断っているのだと言います。
「いろんなところに気遣いができる中居さんならではの配慮だ」
と、口うるさい芸能レポーターまで感心するほどです。
このような人柄ですから、退所はしましたが、ジャニーズ事務所とはとても
良好な関係にあると言われています。
マネジャーが良好な関係の証明と言えるでしょう。
中居正広のマネージャーを務めているのは、SMAP時代から彼の専属マネジャー兼運転手だった男性です。
ジャニーズ事務所からの出向という形で独立後もサポートを続けています。
業界関係者によると、そのマネージャーはKing&Princeも担当しているとのことです。
ジャニーズ事務所からの信頼は厚く、出世コースを歩む社員だと言いいます。
このような方が今でも中居正広を担当していることからも、彼に対するジャニーズ事務所の姿勢が十分伝わってくるのです。
また、2020年3月に独立した後も、彼がMCを務める『金スマ』や『音楽の日』などにはジャニーズの後輩が続々出演しています。
松本潤さんやキンキ・キッズの二人、キスマイなど多士済々と言える顔ぶれです。
このようなことからも、中居正広とジャニーズ事務所はいわば、相思相愛であると言えます。
ここで、ちょっと話題を変えて彼が人気スターになるまでの略歴を見てみましょう。
1972年8月18日、神奈川県藤沢市で生まれました。
本名は同じく中居正広です。
今年で50歳になりました。
1年生から4年生までは藤沢市立鵠沼小学校で学び転校した藤沢市立明治小学校を卒業します。
藤沢市立明治中学校を経て平塚学園高等学校へ進学しました。
2年生の時に都立代々木高等学校現在の東京都立世田谷泉高等学校へ転校します。
定時制高校だったので、計4年かけて卒業しました。
幼少期はとても貧しかったようです。
極貧のあまり、白米に水をかけただけの「水かけご飯」を食べていたと本人は語っています。
おそらく、彼の細やかな気遣いは、このような幼い頃の厳しい環境で身に着いたのでしょう。
貧しさのあまり、グレてしまう者もいれば、中居正広のように厳しさの中で人と調和しながら生き抜くすべを身に着ける人もいるのです。
まさに人は様々、十人十色ですね。
ちょっとした気の持ちよう、考え方の違いで未来は大きく変わります。
彼はまた、貧しく厳しい日常の中でリーダーシップも学びます。
1987年3月、ジャニーズ事務所に入所しました。
その後、ジャニーズJrのグループ『スケートボーイズ』のメンバーになります。
『SMAP』を結成してスター街道を驀進!
1988年4月にはそのグループから木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草彅剛、香取慎吾とともに選抜されアイドルグループ『SMAP』の結成メンバーに加わります。
最年長だった中居正広はリーダーを務めることになりました。
ただ単に最年長だからリーダーに抜擢されたわけではありません。
彼の資質をジャニー喜多川さんはちゃんと見抜いていたのでしょう。
1991年9月9日に『SMAP』はCDデビューします。
そして、個人としては1994年4月にフジテレビ『笑っていいとも!』のレギュラーとなり、2014年3月31日の番組終了まで20年間も出演しました。
1995年には『味いちもんめ』で連続ドラマの初主演を務めます。
その後は、1997年の『第48回NHK紅白歌合戦』で白組司会に抜擢されました。
25歳での白組司会は番組最年少記録です。
このころにはジャニーズの中でも『SMAP』は人気ナンバーワンとなっていました。
特に30代の今でいう、アラサー女性から絶大な支持を誇ったものです。
この辺りからは、SMAPUはもう本当にアイドルグループとしての人気は独走態勢に入るのですが、彼は独特のキャラクターを発揮するようになります。
その一つが自身の歌唱力不足を自虐ネタにして笑いを誘うことです。
それまでのジャニーズでは考えられないことでした。
また彼は司会としての類まれなる才能を発揮します。
大物俳優、女優からアイドル女子、お笑い芸人そして素人相手でも、とてもスムーズに番組を進行させてしまうのですから素晴らしいですね。
司会者としていくつもの番組を持つと、実に多くの人と接することになります。
中には嫌な奴もいるだろうから、リハーサルなどを含め長時間顔を会せるのは大変だろうなあ、と素人としては思ってしまいます。
だが、彼はこのように言っていました。
「好きな人を作ってしまうと、苦手な人ができてしまう。そうなると苦手な人が来るとやりにくくなる」
だから「好きな人も作らないようにしている」のだと言います。
「何だか相性が合うなって思う人を作らないように気を付けていたら、いつの間にか嫌いな人がいなくなりました」
すご〜く、独特な考え方と言えるでしょう。
普通の人が真似ても簡単にできることではありません。
そこがやはり、一流中の一流であり、長い間、冠番組をいくつも持ち続けられた理由でしょう。
このような気遣いができて、派手さはないけれど堅実な才能を発揮できる中居正広です。
一日も早く病気を克服してテレビに復帰していただきたいと心から願っています。
そして、復帰したら今度はもう少し自分に気を使い、仕事もセーブして長~く活躍してください。
つい先日にはラジオ番組へ飛び入り出演し、テレビ朝日から番踏みへの復帰も正式に発表されました。
どうやら病気から回復したようです。
だが、くれぐれも無理しないようにすべきだと思います。
過去に何度も患っています。
仕事をセーブして体力の温存に努めてもらいたいと願ってやみません。