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松山千春の才能を見抜き北海道を代表するミュージシャンに育て上げた男とは?

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松山千春の歌手デビューを語るうえで決して欠かすことのできない人物がいる。

彼は若いころ、ある一人の男に見い出されてチャンスをつかみました。

 

人は誰でも人生の節目節目に出会いを経験します。

出会いは良い影響も与えることもあれば悪影響を及ぼす場合もあるものだ。

 

そんな出会いをあまり意識せずに一生を送る人もいれば、決してある出会いを忘れない人もいる。

松山千春は、その男との出会いを生涯忘れることはないだろう。

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あなたは歌手・松山千春の生みの親を知っていますか?

松山千春を見い出し、売り出した男がいる。

その名は竹田健二氏。

札幌を拠点とするSTVラジオのディレクターだった方だ。

 

1977年、松山千春は『全国フォーク音楽祭』の北海道大会に出場しますが、落選してしまう。

歌のうまさにかけては自信のあった彼ですから落胆は大きいものでした。

 

ショックのあまり

「たかが北海道予選を通らないなんて。もう歌手にはなれないのかも」

そんな想いが頭をよぎります。

 

しかし「捨てる神あれば、拾う神あり」とはよく言ったものだ。

STVラジオのディレクター竹田健二さんは、彼の実力をきっちりと見極めていました。

 

翌1976年にSTVラジオ『サンデージャンボスペシャル』で15分間の『千春のひとりうた』コーナーを設けてくれた。

 

その番組への出場によって1977年1月25日には『旅立ち』でメジャー・デビューを果たします。

しかし、プロ歌手として船出した松山千春は、またもや大きな衝撃に見舞われたのだ。

 

メジャーデビューした年の8月27日のことでした。

二人三脚で歩んできた恩師の竹田健二さんが急性心不全のため急逝してしまうのです。

36歳という若さでした。

 

千春は計り知れないほどのショックを受けます。

そんな失意の彼を見て、友人たちが立ち上がりました。

 

10月には個人事務所として『オフィス・パンタ』が設立され、山本詔治氏が社長に就任して松山千春のバックアップ体制が整います。

 

この事務所はのちに『オフィス・ゲンキ』に名称変更。

同時に松山千春自身が社長に就任し現在に至ります。

 

事務所設立と同時に『オールナイトニッポン』で、水曜2部のラジオパーソナリティに起用された松山千春。

 

口調は少し乱暴だが、歯切れのよい語りがラジオファンから支持を得て、松山千春は全国的な人気者となっていくのでした。

 

続いて1978年に発売したシングル『季節の中で』が大ヒット。

これにより、彼は一気にスターダムに登り詰めたのだ。

 

その後は、『窓』『長い夜』『夢の旅人』『人生の旅人』など次々にヒット曲を連発。

こうして、彼は1970年代を代表するミュージシャンになるのですが、東京に住まいを移すことはありません。

 

北海道を代表するミュージシャン誕生の裏には、竹田健二さんの存在があったのです。

人間やはり、人との縁は大事なのだ。

松山千春は郷土愛が強く、やんちゃで、気配りのできる男だ

北海道の足寄(あしょろ)町出身ですが、とても郷土愛が強いことで有名です。

若いころは比較的足寄に近い帯広市に居住していましたが、現在は札幌に住んでいる。

 

北海道出身のせいもあり、スキージャンプの大ファンです。

ジャンプ選手の合宿には毎年のように牛肉などを差し入れますが、ジャンプチームの応援歌として『空-翼を広げて』を創作するほど熱い声援を送っている。

 

彼はまたゴルフ好きでも有名で、かつては北海道の名門コース・小樽カントリー倶楽部のクラブチャンピオンに輝いたこともあるほどの腕前を誇りました。

 

テレビ東京のゴルフ番組にも度々ゲストで出演し豪快なスイングを披露しています。

彼のスイングは本当に思いっきりが良いですね。

全身を使ってびゅんびゅん振り回すのが持ち味です。

 

ただこの元気の良さが、度を過ぎる事もあります。

ゴルフ場はどこでも建前上、賭けゴルフは禁止です。

クラブハウス内での金銭のやり取りは、当然ご法度。

 

あろうことか、その現金のやり取りを名門・小樽カントリー倶楽部のレストランでやってしまうのだからあきれてしまいますね。

少ない金額での賭けゴルフは多くのゴルファーがやるけれど、レストランで金銭授受はいけません。

 

メンバーの顰蹙を買って、今では彼もそんな下品なことはやめました。

傍若無人に思えるところもありますが、松山千春は素晴らしいスポーツマンシップも持ち合わせています。

 

例のクラブチャンピオンの決勝で戦った相手に敬意を表すことも忘れません。

自分が勝者になっても決して驕ることなく決勝で戦った相手に高級時計を贈る配慮を見せている。

 

お金があるとはいえ、簡単にできることではありません。

また、彼は女子ゴルフ界のレジェンド・岡本綾子さんをゴルフのために北海道へ招待したことがありました。

 

この時も決勝戦の相手に声をかけて3人でプレーしています。

好敵手への度重なる配慮と友情はとても格好いいですね。

さすが、高校時代バスケットボールに熱中して「シュートの鬼」と言われただけあります。

 

そんな松山千春は、道民からの受けもおおむね良好だ。

札幌を拠点にして全国ツアーへ出かけてるので新千歳空港を頻繁に利用する。

 

人気歌手にしては、大勢の取り巻きを連れて歩くわけでもなく、一緒にいるのは大概マネージャーだけ。

ファンが声をかけると気さくに北海道弁丸出しで答えるのだ。

 

「今日はどこさいくの?」

「これから福岡まで行ってくる」

 

「ずんぶ遠いとこまで行くな」

「ナンモ、ナンモ、飛行機に乗ればすぐだよ」

 

こんな調子ですね。

ファン以上になれなれしいのも、彼の特徴なのだ。

 

札幌市内で買い物をしている目撃情報も多いけど、店員に対してもこんな調子で接します。

上着を試着して

「色はいいけど、肩のあたりがちょっとアズマシクねえな」

 

アズマシイは北海道独特の方言で「ゆったりしている」とか「のんびりできる」という意味で使われま言葉。

だから千春は「肩のあたりがちょっと窮屈だ」と言っているのだ。

松山千春の歌には、貧しかった少年時代に夢見た想いが詰まっている

ざっくばらんで気さくな松山千春ですが、歌のうまさには絶対の自信を持っている。

テレビに出演してこのように語っていました。

「松山千春が生きている限り自分以上に歌が上手い歌手は出てこない」

 

このようにも言っている。

「オレが唯一、歌で負けたと思った人は美空ひばりさん」

 

スゴイ自信ですね。

これについてネットのQ&Aサイトでこんな話を見つけました。

 

「日本の歌手で歌が一番うまいと思うのは誰ですか?」

というクエスチョンに対して、次のようなアンサーが書かれていました。

 

「松山千春さんが唯一、負けたと思ったのは美空ひばりさん、だと言っているから、この二人が1番2番でいいと思います」

 

なかなか秀逸な答えです。

千春ファンは素直な方が多いようですね。

 

ただ、このような強気ともいえる発言は自分自身に向けられた面もあるのではないでしょうか。

「俺は歌がうまい。だから自信を持て」

このように言い聞かせていると考えられるのです。

 

なぜなら、彼はかなり厳しい経済下で子ども時代を過ごしている。

父は足寄で『とかち新聞』を発行していました。

新聞と言っても旬刊紙で、取材も編集も自分一人でやる小規模なものだった。

 

したがって家計は苦しく、松山千春は中学生になると納豆売りに出かけなければならないほど困窮していたのです。

 

高校では成績優秀で担任から大学へ行くようすすめられますが、家計を助けるために一刻も早く働きたいと進学をあきらめています。

 

高校を卒業すると彼は、叔父の飲食店で働くために北見へ行きました。

叔父の飲食店で働きながらバーテンダーもやり、実家に仕送りしたのです。

その後、足寄に帰り父の仕事を手伝いながらフォークシンガーを目指します。

 

このような少年期の厳しい体験が彼の根底を支えているのです。

一見、ざっくばらんで、天真爛漫ではありますが

決して弱気になってはいけない、弱みをさらしては負けてしまう。

 

そんな哲学が彼を支えているのだと思います。

だからNHKに対しても超が二つ付くほど強気です。

紅白への出場を打診されたら「大とりなら出る」と譲りません。

 

したがって、一度も出場していないのだ。

また、紅白の出場審査に使うからとCDの提供を求められても「欲しいなら一般の方と同じくCDショップでお買い求め下さい」と決して天下のNHKにヘリ下ることはない。

 

一貫した姿勢は見事なものです。

松山千春さんの歌には、厳しい経済状態の中で明るい明日を夢見た、子ども時代の想いが色濃く反映されている。

 

その代表作が『季節の中で』です。

このように懐かしむファンがいます。

 

「都会の喫茶店で、田舎者が、故郷を思い涙ぐむみたいな歌詞です。慣れない都会の喫茶店で、コーヒーを3杯も飲んで、田舎もんが、とさげすまされる。

ちょうど、私が大学に通うために田舎から東京に出てきた時の歌で、なぜか共感して涙してしまいました」

 

松山千春さんは今、糖尿病を患っています。

小樽カントリー俱楽部のメンバーも心配しています。

「めっきりゴルフに来る回数が減った」

 

1955年12月16日生まれの66歳。

まだまだ若い。

 

恩師である竹田健二さんの分まで活躍しなければならないのですから糖尿病なんかに負けてはいられませんよ、

千春ちゃん。

 

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