マツコ・デラックスの生い立ちは少し冷めた少年で、ゲイにハッキリと目覚めたのは中学生時代でした。
そのマツコ・デラックスは『好きな芸能界のご意見番』ランキングで、トップに立ちます。
マツコ・デラックスに引きこもりの時代があった?
マツコのテレビ初出演は、フジテレビの深夜番組『エブナイ』で2000年のことでした。
その後、2005年TOKYO MXの情報番組『5時に夢中!』のコメンテーターで登場します。
ここからはもう、まさしく無人の荒野を行くがごとしの勢いでした。
アレヨアレヨという間に人気急上昇で、冠番組など多くのレギュラーを抱えて、大活躍中なのはご存じのとおりです。
そんなマツコ・デラックスに、引きこもりの過去があることをあなたは知っていますか?
不登校もありました。
テレビ、ラジオ、雑誌などに出てはあっちも、こっちもバッサバッサと斬り捨ててしまうマツコが引きこもりだったなんて、ちょっとした衝撃ですね。
マツコ・デラックス人気の秘密と本名は?

類まれなるトーク力でバライティ番組を中心にテレビで引っ張りだこのマツコ・デラックス。
1972年10月26日生まれで、本名は松井貴博(まついたかひろ)。
それにしても20年近く、マツコ・デラックスの人気は全く衰える気配が見えません。
なぜここまで求められ続けるのか。
その理由を知るにはマツコ・デラックスの生い立ちを知る必要があります。
不登校を克服し、引きこもりから立ち直り、国民的人気キャラクターにまで登り詰めた、その秘密に迫りました。
マツコ・デラックスの独特なキャラクターは子どもの頃から発揮されていました。
ファミコンゲームに熱中している同年代の小学生を「子供だなあ」と冷めた目で見ていたのです。
すでに、その頃から話術に優れていて、優等生からもやんちゃな子からも、一目置かれる存在でした。
だが、マツコ自身の心は、決して満たされません。一目置かれながらも、同世代の子どもたちと上手くなじめず、不登校になったこともありました。
やがて思春期になると「女性になりたいわけではないが、女装してみたい」という複雑な自分の想いを自覚するようになります。
女性のメイクやファッションの世界に興味があるとハッキリ認識したのは、資生堂が発行するPR雑誌『花椿』を見たときのことでした。
高校生になると「こうなったら、なるようになれ!」と意を決し、女装を始めます。
ハッキリ言えば、このとき『ゲイ』に目覚めたのです。
高校3年になると、コンビニのトイレで服を着替え、メイクを施し、港近くの倉庫街にあったクラブへ足しげく通うようになりました。
元SMAPの木村拓哉が高校の同学年にいましたが、彼は2年生になると通信制の学校へ転校します。
高校を終えると、マツコは美容学校に進学しました。
そして、一度は美容師になりますが、ここでもなぜかしっくりきません。
ハッキリとはわからないが、なにかが違うと感じて悶々とした日々を送ります。
マツコはゲイ雑誌の編集部で働いていた
そんな、モンモンとしていた時でした。
ゲイであることを隠すこともなく生き生きとテレビに映る人の姿に目を奪われます。
これをきっかけに、ゲイ雑誌『バディ』の編集部で働くことになったのです。
その後、記者と編集者を経験し5年ほど勤めます。
だが、面倒くさい人間関係に嫌気がさして退社してしまったのです。
千葉県の実家に戻るのですが、心にとげが刺さったような人間関係のトラウマが消えません。
こうして、引きこもり生活が始まったのです。
引きこもった実家から、高校の同級生60人以上に電話をして、仕事や学歴などを聞き出します。
そして「誰が一番不幸か」を比較するなどという馬鹿げたことをやるのですが、結局、自らが傷つくだけでした。
自暴自棄な生活は続き、ついには実家からも追い出されてしまいます。
そんな崖っぷちに立たされたマツコさんですが、何かしなければいけないと思いつつ、全く行動することができずにいました。
実家を追い出されたマツコを救ったのは中村うさぎだった!
八方ふさがりのマツコ・デラックスだったが、完全に天から見放されたわけではありません。
転機が訪れます。
今から振り返ってみると、マツコにとってあの時こそ千載一遇のチャンスだったと言えるのではないでしょうか。
小説家の中村うさぎから声がかかります。
彼女がホステス役を務める小学館の対談集『人生張ってます』のゲストに呼ばれたのでした。
中村うさぎは、マツコが携わっていた『バディ』の記事を読み、その文才を高く評価していたのです。
あまりにも突然で、状況をのみ込めないまま、マツコは対談に臨みます。
対談の中で中村うさぎさんから、このように説得されたのです。
「あんたは書くべき人間なのよ、才能があるのだから」
そして間もなく、マツコはコラムニストとしてデビューしました。
だが、無名のコラムニストの原稿料など高が知れています。
生活は苦しいものでした。
意を決し、生活のためナイトクラブで働きます。
女装してパフォーマンスを披露するドラァグクイーンとなったのです。
それでも生活費に事欠くことがあり、サラ金を頼ったこともありました。
実家から追い出されたのですから、もう誰も頼れません。
マツコは苦しいながらも、何とかやりくりして日々をしのいでいました。
もがきながらでも、懸命に生きていると誰かが目をかけてくれます。
ついに『週刊女性』から連載の声がかかったのです。
当時から身長が175cm以上で体重は140kgありました。
そして、スリーサイズ全てが140㎝という見た目のインパクトがすごい。
これに抜群のトーク力が加わるのですからテレビからもオファーが舞い込むようになります。
このころには、おすぎとピーコの人気もピークを過ぎていました。
しかしテレビにとって『おねぇ枠』は欠かすことのできないコンテンツの一つです。
気が付けばヘアメイクアーティストのIKKOが『おねぇ枠』で孤軍奮闘する状況だったのでした。
マツコは見事、その空いていた枠をガッチリとゲットしたのです。
独特なキャラクターを活かしながら、 頭の回転が速く人の心に突き刺さる発言を連発し、メキメキ頭角を現します。
同時期に出てきたのが、ミッツ・マングローブです。
二人とも次第にテレビで引っ張りだことなっていきます。
マツコの人気の秘密はトーク力とその性格にある!
マツコが世間から高く評価されたのは『おねぇ枠を』超えた特徴ある人間力です。
気が付けばトーク番組やバラエティーに、欠かすことのできない存在となっていました。
人間力を裏付けとしたマツコの言葉にはとても説得力がありますね。
あの、毒舌を嫌味と感じさせない説得力は果たして、どこから来るのでしょうか?
もう少し、マツコの半生を追いかけてみましょう。
その中に答えがあると思います。
マツコはは、小学校の低学年のとき、すでにこのままでは「ただの太っただけの大人になる」と自覚していました。
そんな状況を変えなければいけないと考えます。
そして、4年生の学芸会で女装し、並木路子さんの『リンゴの唄』を歌ったのです。
1945年の歌ですから、ずいぶんと古い歌を選びましたね。
そんな古い歌だったにもかかわらず、クラスメートの反応はまずまずだったようです。
しかし、マツコの洞察力やカンの鋭さは並ではありません。
この時の出来事によって「どうしたら人々に注目されるのか」を悟ったというのです。
小学生で、しかも低学年。
マセていたと言うか、早熟だったと言うか、これも才能の一つでしょう。
歌よりも女装が受けたと直感したのです。
やがて、マツコにとって女装は、趣味や嗜好の範囲にとどまりません。
世間の目を引きつけるための武器となっていくのです。
マツコは雑誌の対談で「学生時代に嫌われたことがありますか?」と聞かれます。
これに対して「目立ってる人間だった半面、すごいバッシングも受けました」と答えていました。
マツコはまた、バッシングを受けたことで、攻撃されることの美学を認識したとも言ってます。
だから高校生の頃から「好かれるか嫌われるかはっきりしたほうが、生きやすい」と感じていたようです。
マツコは子どもの頃から、あらゆる体験を血と肉に変える思考を持っていました。
「そうか、だからあんなに太ったのか」
いえいえ、そんな問題ではありません。
さて、さらにマツコの性格をよく表しているエピソードがあります。
ナンシー関も太っていて、毒舌です。
だから、二人はよく比較されます。
対談の司会者が「子どもの頃デブ」と言われたことがあるかと聞きました。
二人ともあると答えたのですが、ナンシー関が言います。
「クラスに足の悪い子がいて、喧嘩になると必ず『デブ』と言われましたが、私は言い返せませんでした」
これを聞いたマツコさんが言いました。
「私だったら、絶対黙っていない。相手の欠点をすべて並べて攻撃するは」
いかにもマツコらしい、言い草です。
しかし、人間とは本当にわからないもの。
これほど、しっかりとした自己主張ができてメンタルの強そうな人が人間関係に悩んだ末に引きこもりになったと言うのですから。
今のテレビに本当の笑いはない!
引きこもりや不登校など、全部を含めて現在のマツコ・デラックスがあるのでしょう。
さて、最後に一つマツコ・デラックスのテレビに対する率直な考えを、お伝えしましょう。
マツコは言い切ります。
「テレビには、本当の笑いはない」と。
なぜなら、
「ある意味、毒があって、制約のないところでしか、本当の笑いは生まれない」とマツコは考えるからです。
2017年ころ、体調を崩して番組を休んだ時引退説が流れたことがあります。
もし、マツコ・デラックスがテレビを引退するとしたら、
今度は人間関係が理由にはならないでしょう。
「毒を抜かれた制約が」嫌になるときだと思います。