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前川清には九州の水が合う!宇多田ヒカルと子どもたちとは血縁関係なし!

波乱の人生

前川清には九州の水が合うようです。

今は九州を中心に活躍し、元気いっぱい、幸せいっぱいです。

前川清は高校を中退してダスキンの営業などをした後、長崎市内のキャバレーで歌っていました。

 

長崎では歌のうまい青年がいると評判なり、『内山田洋とクール・ファイブ』のメンバーだった小林正樹に声をかけられます。

早速メンバーに加わりリードボーカルとして活躍の場を得ました。

 

 

1969年2月5日に『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビューを果たします。

この曲が大ヒットして、その年はNHKの紅白歌合戦にも初出場しました。

 

前川清はクールファイブ時代とソロ時代を合わせると計29回も紅白に出場しています。

これは男女を通じて6番目の記録となります。

 

『噂の女』『そして、神戸』『中の島ブルース』『東京砂漠』など、ヒット曲が多いことでも知られています。

 

彼はまた、歌手としてだけではなく『8時だョ!全員集合』『ドリフ大爆笑』『欽ドン!』などバラエティ番組にも多数出演するようになります。

 

歌うときは不動の姿勢で、無表情ですが、バラエティになると二ヤついて、すっとぼけたコントを連発。

このギャップが大うけし、たちまちお茶の間の人気者となります。

 

前川清はのちに言っています。「『欽ドン!』や『8時だョ!全員集合』に出て全国的に有名になったが、レコード、CDは逆に売れなくなった」

芸能人のプロデュースもはたから見るほど簡単ではないようですね。

 

さて、前川清の現在はどうなっているのか気になりますね。

そこで今回は前川清を追ってみました。

最初に彼のプロフィールを簡単に紹介します。

 

1948年8月19日生まれで、現在74歳です。

長崎県佐世保市の出身で長崎南山高等学校を中退しています。

血液型はO型。

本名も同じく前川清です。

 

すでに74歳になった前川清ですが、仕事は順調のようです。

現在の活動拠点は九州のラジオです。

 

九州朝日放送で『前川清の笑顔まんてんタビ好き』のレギュラーを務めています。

番組の内容は、九州各地を旅して歩き行先の土地柄や名産、名物などを伝えます。

 

今、テレビで流行っている『お散歩番組』のラジオ版といったところです。

2012年から続いているので、すでに10年が経過しました。

 

また、同じく九州朝日放送では『前川清のBARTAKE5』も放送されています。

やはり、彼には生まれ故郷である九州の水が合うようです。

 

新型コロナウイルスの影響でライブが中止になるなど影響は受けましたが、それも徐々に再開されています。

 

演歌歌手の強みであるディナーショーも昨年から数回開催していますので、かなり恵まれているのではないでしょうか。

 

2020年9月16日には新曲『歩いて行こう』をリリースしています。

この歌の作詞作曲は息子さんである前川紘毅(ひろき)です。

 

また、2020年4月15日には川中美幸とのデュエットで『東京シティセレナーデ』をリリースするなど、こちらの動きも活発です。

74歳という年齢を考えると大活躍と言ってもよいのではないでしょうか。

 

さて、前川清と言えば離婚経験があり、現在の奥さんとは再婚です。

最初の結婚は、わずか1年足らずで離婚しています。

その相手は同じ歌手の『藤圭子』でした。

 

若い方はピンとこない名前かもしれませんが、藤圭子さんは『宇多田ヒカル』の実のお母さんです。

 

藤圭子さんは2013年に東京都新宿の知人宅のマンション13階から飛び降り亡くなっています。

前川清と藤圭子さんが結婚したいきさつや結婚生活を調べていくとこれじゃ、別れるのは当然だという実情が浮かび上がってきます。

 

二人は互いに人気絶頂だった1971年に結婚しました。

前川清がボーカルを務める『内山田洋とクール・ファイブ』と藤圭子さんはレコード会社が同じでした。

 

『内山田洋とクール・ファイブ』のメンバーは1969年10月に行われた芸能人野球大会に出場します。

その応援に駆り出されたのが、当時、新人だった藤圭子さんでした。

 

この時は言葉を交わすようなチャンスはありませんでしたが、前川清はこの日を境に藤圭子さんに対して恋心を抱くようになったのです。

 

そんな二人のキューピット役を務めたのが売れっ子作詞家の石橋まさおでした。

前川清を気に入った石橋は、自宅へ招待します。

 

作詞家石橋まさおの住み込み弟子だった藤圭子さんは、デビュー後も石橋宅で下宿生活を送っていました。

そこで何度も顔を合わせるうちに二人はだんだん親しくなっていったのだと言います。

 

しかし、この話には後日談があります。

実は、藤圭子さんが好意を寄せていたのは石橋まさおだったのです。

 

当時、藤圭子さんは石橋まさおと結婚したいと周囲に語っていたとの情報まであります。

それを知っていた石橋が、自分は好意を受け止めることができないので、藤圭子さんを前川清に押しつけたのではないかとも言われました。

 

そんなことなど露知らず、前川清は結婚します。

前川清23歳、藤圭子さんん21歳の若いカップルでした。

 

しかし、二人の結婚生活は寂しく味気ないものだったようです。

お互いが超売れっ子歌手なのでテレビ出演地方公演と、すれ違いが多かったのです。

 

そんな多忙の中、ようやく2人一緒に過ごせる時間がやってきます。

だが、新婚のアツアツであるべき時間も、藤圭子んさは心ここにあらず。上の空状態だったのだと言います。

 

前川清が地方公演を終え、久しぶりに自宅へ戻っても夫婦の会話はなく、彼女は飼っていた錦鯉とばかり話していたそうです。

 

子どもがほしい前川清でしたが逆に藤圭子さんは欲しくなかったようです。

体の関係を拒み続けてたとの噂までありますがまあ、これは嘘でしょう。

でも、アツアツで結ばれた新婚さんとは、かなり違っていたことは想像に難くありません。

 

しかし、そんな状況が続けば当然、前川清の気持ちは冷めてしまいますね。

二人は結婚からわずか1年で離婚となったのです。

 

若気の至りというか、当時は前川清も結婚をあまり重く考えていなかったようです。

後に彼は告白しています。

 

結婚式を挙げるつもりはなかったのですが、事務所やテレビ局に乗せられて、挙げざるを得なくなったと告白しているのです。

 

当時、芸能関係者やメディアの間では「二人の結婚は、ままごとみたいなもの」と噂されましたが現実も、それに近かったようです。

藤圭子さんと離婚した10年後の1982年に、前川清は再婚します。

 

お相手はレコード会社の社員だった竹井朝美さんです。

二人は会社の飲み会で知り合いました。

その出会いが交際に発展し、ほどなく結婚します。

 

会社の飲み会で知り合って恋に発展するなんて、なんだかサラリーマンみたいですね。

庶民的な前川清にはピッタリの話です。

 

そして再婚の相手は、いわゆる一般人。

これもまた、彼には実にお似合いだと思います。

この再婚は夫婦仲もうまくいっているようです。

 

1984年には長女が、1985年には長男が生まれ、1991年には次女が誕生しています。

3人のお子さんに恵まれ、子どもが欲しかった前川清も、さぞ喜んだことでしょう。

 

そして長男と次女は、芸能人として活躍するようになりました。

二人とも前川清との親子共演を果たしています。

 

長男の前川紘毅(ひろき)は、あるオーディションを受けてグランプリを獲得しました。

2006年にはメジャーデビューを果たしています。

 

前川清の息子である事を隠して、オーディションを受けグランプリを獲得したところまでは格好良かったのですが、その後は全く売れていません。

 

売れてはいませんが、歌はうまいようで、勘違いする人もいるのだとか。

「さすが宇多田ヒカルの弟だけあって歌がうまい」

 

それを聞くたびに前川清は言うのです。

「宇多田ヒカルと血のつながりは全くない」

 

「宇多田のDNAは売れるけど、俺のDNAは売れないの」そして次女は前川侑那(まえかわ ゆきな)。

 

男女2人組のロックユニット「Dire Wolf」のヴォーカル「Yu」として、アルバムもリリースしています。

侑那は、身長168センチで体重106キロの巨体を誇ります。

 

お父さんの前川清は「0.1トンの娘」と呼んでいるようです。

相方のベース担当SHISYOさんも体重160キロの巨体ですから、身体だけなら超大物ですね。

 

次女もあまり売れているとは言いがたいのですが、前川清はそれを鉄板ネタにしてしまうのだからたくましくて楽しい人です。

 

「これが宇多田ヒカルちゃんだったら、俺はもう仕事をしなくて済むんだけどなあ」

いつまでも、どこまでも明るい前川清から、まだまだ目が離せません。

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