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黒柳徹子の若い頃に驚愕!恋人はいたが結婚しなかった理由とは?

波乱の人生

若い頃の黒柳徹子がとった行動にはビックリです。

NHK放送劇団の試験を受けた時のエピソードは、驚愕とも言えるものでした。

 

そして、もう一つ驚くのが彼女の告白です。

40年間にわたり、外国人男性と超長距離恋愛をしていたのだという。

 

テレビ朝日の『徹子の部屋』が長寿番組になった理由なども探りながら、彼女の長い芸能界人生を追いかけました。

黒柳徹子は若い頃、驚くほど自由奔放な娘だった!

黒柳徹子は1933年8月9日生まれで東京都港区乃木坂出身です。

今年89歳ですが、まだまだお元気でいらっしゃいます。

 

このお年でテレビ番組『徹子の部屋』と『世界ふしぎ発見』のレギュラーを2本持っているからスゴイですね。

 

2021年には『徹子の気まぐれTV』というユーチューブの公式チャンネルも開設しているのですから驚きの行動力です。

 

 

ちなみにチャンネル登録者数は11万人で、総再生回数は927万回となっています。

来年には90歳を迎えるのに記憶力がまたすごいのです。

ユーチューブでの話を聞いていると15歳当時のことでも鮮明に覚えています。

 

黒柳徹子はつい先日も岸田総理大臣と会っていますが、政界の人脈がとても広い方です。

何かあるとすぐに「記憶にございません」「記憶が定かではありません」という政治家の皆さんに是非とも、記憶力の保ち方を教えていただきたいものだと思います。

 

国会に出て「ちょっとあなた、89歳の私でも75年前のことをちゃんと覚えているんだから、60代のあなたがたかが3年前、5年前のことを忘れてどうするの!」

と一喝していただきたいものです。

 

さて、その黒柳徹子は日本でテレビ放送が開始された記念すべき1953年2月1日の、その日からテレビ出演を続ける、とても貴重な体験の持ち主でもあります。

 

言ってみれば「歩くテレビ博物館」とでもいうべきトンデモない人なのです。

彼女は音楽学校で声楽を学びましたが、卒業してすぐに「自分はオペラ歌手にはなれない」と気づきます。

 

だったら「自分の子どもに人形劇や絵本などを上手に読み聞かせることができるお母さんになろう」

と考えました。

そこで目についたのが、NHK放送劇団の俳優募集広告だったのです。

 

「ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」と思い応募しました。

実はこの応募から試験や面接までのエピソードがスゴイのです。

 

とても、今の黒柳徹子からは想像できないことばかりやらかしています。

まず応募に必要な履歴書は持参することになっていたのですが郵送してしまい、NHKから怒られます。

 

続いて筆記試験の会場を間違えて遅刻してしまうなど、うっかりぶりを発揮するのです。

試験中さらに驚きの行動に出ます。

 

問題が分からず答案用紙の裏にまで自分の長所を書き連ね自己アピールするのですから、なかなかの肝っ玉でした。

 

他にも消しゴムで答案用紙を汚して字が読み取れなくなったり、一部は破れてしまうなどやることが無茶苦茶でした。

 

面接がさらにビックリなのです。

「親に言ったらこんなみっともない仕事をするのはやめろと言われた」

「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞いた」

などとぶちまけてしまいます。

 

しかし、約6,000人の応募者の中から13人の合格者に選ばれてしまうのでした。

しかも試験は第6次までの審査があったと言いますからにわかには信じがたい出来事です。

 

当時は今と違い、あらゆることが型にはまっていなくて、試験官などに権限が委ねられていたのでしょう。

そして、そんな無茶苦茶を差し引ても、彼女の持つ魅力を感じ取っていた人が複数いたと考えられます。

 

『個性尊重』『表現の自由』などが声高に叫ばれる現代よりも、はるかに個性が尊重されたおおらかな時代だったのかもしれません。

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『徹子の部屋』は黒柳徹子の提案によって大成功した?

黒柳徹子は自分の体験上、人との出会いや付き合いをとても大事にします。

例えば、日本初のトーク番組となった『徹子の部屋』開始にあたり、テレビ朝日に次のような条件を出しています。

 

一つ目が「スタッフの入れ替えをしないこと」二つ目は「編集をしないこと」でした。

編集をしないという条件にはとても深い意味があります。

 

ゲストと黒柳徹子、そしてスタッフの三者間で『ここをカットしてほしい』『ここを残してほしい』

と編集に関する意見が衝突するのを防ぐためだったのです。

 

スタッフを変えるなという条件も素晴らしいですね。

誰でも、そう簡単に出来るものではありません。

 

黒柳徹子は「ありのままの姿」を重んじ

人の和を何よりも優先したのです。それが、テレビに抱く彼女の理想なのかもしれません。

 

多少のミスはあっても、ゲスト一人一人の真の姿を視聴者に届けたい。

そんな思いが強いのでしょう。

 

その結果『徹子の部屋』は数々の記録を打ち立てます。

1976年に第一回が放送された徹子の部屋は2011年4月27日放送分を以って放送8961回を数えます。

 

これにより

「同一司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定されたのです。

 

2015年5月27日には放送回数が通算10000回と言う、まさに前人未到の記録を打ち立てました。

「橋田賞」「第23回放送文化基金賞」など数々の賞も受賞しています。

 

驚くのは『第54回菊池寛賞』を受賞したことです。

受賞理由は「30年間休むことなく良質な対談番組を送り続けている努力」に対してです。

 

黒柳徹子は多才であり、人柄が良いだけでなくとても健康な方でもあります。

その彼女は多くの社会貢献や福祉活動に熱心です。

中でも有名なのが『日本パンダ保護協会名誉会長』です。

 

彼女とパンダの出会いは子供の頃にさかのぼります。

叔父がアメリカのおみやげに買ってきてくれたのがパンダのぬいぐるみでした。

 

これを見て、パンダの愛くるしさに一目ぼれしてしまったのです。

彼女は、ただ可愛いだけで終わらせません。

 

それをきっかけにパンダの研究を始めます。

以来、パンダの研究は70年以上に及ぶと言いますから、もう、趣味の段階を超えて立派な博士です。

頭が良いだけではなく、熱中ぶりも大変なものと言えます。

 

一つのことを熱心に調べるといろんなことへ行きつきます。

パンダを研究すると当然、好物の笹を調べることになり、

リサーチは植物の生態系にまで及ぶでしょう。

 

『世界ふしぎ発見』で見せる彼女の博学はこうしたことにもよると考えられます。

それにしても、本当に黒柳徹子は物知りです。

黒柳徹子の社会貢献と受賞歴が半端ではない!

彼女の社会貢献を語る上で、もう一つ欠かせないのが『ユニセフ親善大使』ですね。

彼女がその辺のタレントと違うのは、何事も使命感を持って取り組むことです。

 

決して、名前だけの役職では終わりません。

『ユニセフ親善大使』として訪問した国は30を超えます。

 

それもアフリカや中南米など発展途上国が中心です。

戦火の中をボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアも訪問しています。

 

さらにはイスラム過激派のテロが頻発していたアフガニスタンは二度も訪れました。

他にも自身が書いて大ベストセラーとなった『窓ぎわのトットちゃん』の印税を寄付して、社会福祉法人『トット基金』を設立しています。

 

ちなみにこの『窓ぎわのトットちゃん』は単行本と文庫本を合わせて累計800万部発行、世界35カ国で翻訳されました。

 

発行部数では日本国内、戦後最大のベストセラーとなっています。

また、「国際障害者年障害関係功労者内閣総理大臣賞」「全日本ろうあ連盟厚生文化賞」を受賞し、ポーランド政府から『コルチャック賞』が贈られました。

 

他にも、『あゆみの箱理事』『日本ペンクラブ会員』『世界自然保護基金ジャパン顧問』『東京フィルハーモニー交響楽団副理事長』など多くの分野で活躍しています。

 

受賞歴や役職はまだいくつかあって、その幅広い活躍ぶりは数え切れないほどです。

彼女を『マルチタレント』と呼ぶ人がいますけれどとても、とてもその領域に納まる人ではありません。

黒柳徹子に40年来の恋人がいた!驚きの告白とは?

ところで黒柳徹子は独身を貫いています。

かつて「黒柳徹子の処女を守る会」というのがあったことを知る人は少ないでしょう。

 

会長を永六輔さんが務めて、数人の会員がいました。

ところがです、彼女の口から思いもよらない告白が飛び出したのです。

 

衝撃的な告白があったのは2017年12月12日放送の『徹子の部屋』でした。

40年近くにわたり遠距離恋愛をしていたというのです。

しかも恋人は外国人男性です。

 

お互い多忙なため1年に1、2度しか会うことができず彼氏の死去により交際に終止符が打たれたのだと言います。

これを天国の永六輔さんはどんな気持ちで聞いたのでしょうか。

 

また彼女はNHKの『あさイチ』で次のようにも話しています。

「これまで結婚を考えたことはあります。

お見合いや出会いもあったけど、タイミングが合わなかったの」

 

結婚より仕事を選んだのが、正直なところではないでしょうか。

スーパーウーマン、黒柳徹子さんの結婚は、さすがにもうないでしょうけれど、

100歳になった彼女を是非ともテレビで見てみたいものです。

 

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