小林幸子と言えば、NHK紅白歌合戦に出場するときの、豪華絢爛な衣装を思い浮かべる人が多いと思います。
また、小林幸子と和田アキ子の確執も芸能界では知らない人がいないほど有名です。
そこで、今回は小林幸子と和田アキ子の確執の真相に迫りました。
そして、二人の確執と小林幸子が歌謡界から干されたことに何か関係があるのか?
さらには、小林幸子の現在はどうなっているのかも興味深いところなので、その姿にも迫りました。
ではまず、彼女の略歴を見てみましょう。
1953年(昭和28年)12月5日新潟県新潟市で生まれました。
現在は69才です。
1963年(昭和38年)、小学校4年生の9歳の時にTBSテレビの『歌まね読本』でグランドチャンピオンに輝きました。
この時に美空ひばりさんの歌を真似をしたのですが、
「これが本当に小学6年生か?」
と審査委員一同ビックリするほど素晴らしい歌いっぷりだったようです。
審査委員長だった当時のナンバーワン作曲家、古賀政男さんにスカウトされ、翌年上京します。
実家は新潟市内で肉屋を営んでいましたが、店をたたみ家族全員で上京しています。
弱冠10歳の彼女に小林家の命運をすべて託した事になります。
ちなみに小林幸子は本名でしたが現在は結婚しているので、本名は林幸子です。
師匠の古賀政男さんが作曲したデビュー曲『ウソツキ鴎』はレコードの売り上げが20万枚を超える大ヒットとなりました。
このヒットで小林家の生活も安泰となり一家で上京した甲斐があったというものです。
1979年(昭和54年)には『おもいで酒』がレコード販売200万枚の大ヒット。
この年の暮れには『第30回NHK紅白歌合戦』に出場しました。
この初出場以来、彼女は紅白に計34回も出ています。
女子では4番目、男女を通じても8位にランクされる出場回数を誇っているのですから、改めて演歌界を代表する歌手であることがわかります。
ちなみに紅白出場総合第一位は北島三郎の51回で、女子では石川さゆりの44回が最高です。
34回も出場した紅白では、すっかりおなじみとなった小林幸子さんの豪華な衣装ですが、あのド派手な姿をどうにも気に入らない人がいました。
和田アキ子です。
それで、小林幸子さんの紅白衣装をめぐってこのようなことがありました。
2000年の紅白に出場した際、小林幸子さんは
「豪華衣装での出演は今回が最後です」
と公言しました。
しかし、翌年の2001年も花をテーマに『Flower of dream』と題した大掛かりな豪華衣装を披露したのです。
これに大きな口を開けてかみついたのが和田アキ子でした。
「何故、豪華衣装を止めると言ったのにまた着たの?」
「演歌歌手はウソつきが多い」とまで言って、芸能記者の前で、小林幸子を罵ったのです。
ですがさすがこの時は、数多くの演歌歌手仲間や松山千春、さだまさしらの大物歌手も小林幸子に同情的でした。
和田アキ子の批判は、それでもやみません。
「出場歌手が発表されていないにも関わらず、どうして衣装制作ができるのかしら?」
「もし、出場できなかったら、あの衣装はどうするつもりなの?」
「あれは衣装じゃなくて舞台装置よ」
などと、蓮舫顔負けの批判を繰り広げたのです。
ここで少し解説しますと、和田アキ子はこのように言っているのです。
NHKが正式に紅白出場歌手の発表をする前に小林幸子がド派手な豪華衣装をつくるから仕方なくNHKは彼女を出場させざるを得ないのだ。
これが和田アキ子の言い分です。
どうしてNHKの内情を和田がわかるのか不思議ですけれど、小林幸子も黙っていません。
「紅白の豪華衣装は見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっています」
「もし紅白に出場できなかったらコンサートで着ますよ」
「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんです。だから陰でコソコソ言わないで何か意見があったら直接、はっきりと私に言いに来たらいいのに」
ワイドショーのインタビューにこう反論しています。
実際に和田アキ子は、小林幸子とテレビ局などであっても、直接何か言うことは一切なかったそうです。
それと、ド派手な紅白の衣装以外に二人の間にどんな確執があるか?
そう言われてもはっきりと答えられる人はいないようです。
つまり、小林幸子と和田アキ子の長年にわたる確執の真相は次のようになります。
民主主義国家アメリカVS独裁国家のロシアのように埋めがたい思想信条が二人の間に横たわっているという訳ではありません。
和田アキ子は小林幸子のやることがことごとく気に障る。
だから、何か一言ケチをつけないと気が済まない。
それが真相だと思いますよ。
小林幸子も言っています。
「私はなんとも思っていなけど、アッこちゃんは私のことが嫌いなようだから」
和田アキ子はご存じのように若いころから「オンナ番長」などと言われて、気の強いことで有名です。
しかし、そのオンナ番長に全く気後れしない小林幸子も、相当のつわものですね。
さて、その小林幸子がテレビなど歌謡界から干された時期があります。
彼女の紅白連続出場も2012年で途絶えましたがその原因となったのがある事件です。
それが歌謡界から干された理由でもありますがその事件とは、個人事務所のお家騒動です。
小林幸子を長年支えてきた個人事務所の社長と専務が解雇されたと報じられました。
2012年3月のことです。
30年間の長い間、小林幸子と苦楽を共にしてきた社長と専務に何があったのか?
小林幸子は2011年に結婚しています。
その夫が事務所の経営に口をはさむようになったのです。
特に事務所社長と小林の夫との対立はかなり激しいものがありました。
恨み骨髄の社長が「解雇された」と主張して騒動が発覚したのです。
長年尽くしてきたスタッフを燃えないごみを捨てるがごとく、簡単にクビにするとは何ごとだ。
ワイドショーを中心にメディアは騒ぎ立てます。
その追求ぶりは本当に執拗なものでした。
これぞバッシングというほどで、まるで犯罪者のような扱いでしたね。
これほどメデアが寄ってたかって叩いたら、イメージダウンは避けられません。
小林幸子は、レコード会社から新曲の発売無期限延期を告げられます。
当然ながら、テレビ出演などのスケジュールも相次いでキャンセルされて、仕事は激減しました。
演歌歌手の命綱ともいうべき地方公演まで激減したのですからたまりません。
小林幸子はなすすべもなく、歌謡界から消え去ってしまったのでしょうか?
いやいや、和田アキ子に対して、一歩も引かない向こうっ気の強さで知られる小林幸子です、そう簡単にはポシャりません。
現在はネットの世界で新境地を開いています。
ウイキペディアには驚きの記述があります。
小林幸子の職業として次のように書かれています。
『日本の歌手、女優、タレント、実業家、YouTuber』
小林幸子はユーチューバーもやっていたのです。
調べてみると彼女がユーチューバーになったきっかけは『ニコニコ動画』にあるようです。
仕事が激減し悩んでいた小林幸子の元へ『ニコニコ動画』への出演依頼が舞い込みました。
これまでの歌手生活でネット世界とは全く縁がなかった小林幸子でした。
どうしたものかと思案の挙句、ダメもとで挑戦してみようと出演を決意したのです。
これを機に、お家騒動スキャンダルでどん底だった状況が一変します。
小林幸子のニコニコ動画参入は、ネットユーザーの間でたちまち話題となったのです。
投稿から3日間で、なんと再生回数が100万回を突破。
当時、ニコニコ動画史上最速記録を樹立し話題となりました。
これに味を占め、楽しくなった彼女は、さまざまな動画を投稿します。
そしてバーチャルYouTuber『キズナアイ』などオンライン上の人気者とコラボして、あっという間にネット界でも人気を獲得します。
2020年12月には
「長年にわたり、歌手として活躍するとともに、音楽文化の普及に努め、芸術文化の振興に多大な貢献をした」
として文化庁から表彰されています。
小林幸子の人生には、いろいろ紆余曲折はありますが、まだまだ終わってはいません。
むしろ、今が最高に楽しそうです。
まだまだ、目が離せません。