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ココナラ電話相談を始めた理由と20億円の借金地獄から這い上がった軌跡とは?

ビジネス

『ココナラ電話相談』に出品したおかげで、これまでは知り得なかった多くの人生に出会い、世間にはまだまだ未知の世界があることを知らされました。

 

多くの人が抱える寂しさ、苦悩を知りました。

そして喜びの声も多く聴くことが出来ました。

 

ちょっと品の悪い表現になりますが「お金を稼がさてもらいながら人生勉強した」あるいは「人生勉強しながらお金を稼げる」のが、ココナラ電話相談だと思います。

 

ココナラ電話相談を始めたのは、あるセミナーに参加したことがきっかけでした。

セミナーの講師から衝撃的なことを聞いたのです。

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アドセンスディスプレイ

ココナラ電話相談をセミナー講師にすすめられ、出品したら何と!?

電話

セミナー講師と個人面談の時間があった。

1人5分までと決められていたが、私の番では大幅に時間を超過してしまった。

 

「ブログのURL分かりますか」

「はい、https://c-golf.netです」

 

彼は手早い動作でパソコンのキーボードを叩き、画面を上下にするロールさせた。

二つの記事に目が留まったようだ。

 

 

 

「セールスコピーを書いたことありますか?」

「いえ、ありません」

 

「これまでの経歴というか、特殊な体験などありましたら簡単に聞かせてください」

この時点でおそらく、一人の持ち時間5分をオーバーしていたと思います。

 

後ろで順番を待つ7、8人の背中に突き刺さる視線とそばだてる聞き耳を気にしながら、過去の体験を簡潔に話しました。

 

「面白い体験をしていますね。それと私は1,000人以上を教えていますが、65歳を過ぎてあなたのようなワードプレス・リテラシーを持つ人は初めて見ました。他の方が終わるまでこの部屋で少し待っていてください」

 

1時間近くたって、セミナー会場に残っているのは関係者の数人と私だけだった。

セミナーの主催者に促され、個人面談のテーブルに戻った。

 

20代後半から30代前半と思われる女性を紹介された。

受付を手伝っていた女性だった。

 

「あなたはココナラを知っていますか?」

「いえ、知りません」

 

女性が簡単に説明してくれた。

後を引き取って講師が言う。

 

「ココナラに電話相談と言うのがあって、彼女はそれで毎月70万円から最高92万円稼ぎます」

ココナラ電話相談???92万円稼ぐ???

 

分からない事ばかりで戸惑ったっが、92万円稼ぐとの言葉は衝撃だった。

「ネットで10万円稼げると言うことを実感してください」

 

セミナー講師の言うことをまとめると次のようになります。

・今やっているアドセンスやアフェリエイトで10万円稼げるようになるには時間がかかる

・セールスコピーを教えるが、これも時間がかかる

・まずは、一般的にはあり得ない体験を活かしてココナラ電話相談で稼げ

 

このような事を言われました。

『ココナラ電話相談マニュアルは』後日、インターネットで送るからそれを基に始めろ、とのことだった。

 

セミナー講師と例の女性とがコラボして29,800円で販売している『マニュアル』が送られてきたのはそれから、1ヶ月以上経ってからだった。

 

YouTube動画2本とPDFのテキストがセットになっていた。

これはセミナー参加の特典として、全参加者に無料で送ったのだと言う。

 

マニュアル動画を視、テキストを読んで3日後には出品しました。

何と、相談の電話があったのは出品した当日だった。

 

次の日の夜遅くに二人目の相談がありました。

2日の間を置いて、3人目は女性からのDVに関する相談でした・

 

驚きました、このスピード感には。

二人目の相談者とは90分ほど話した記憶があります。

 

ただし、私が出品したのは2020年の秋でした。

このころは競争相手も少なく、私のプロフィールを見て相談電話をした方が多かったようです。

 

ココナラは最近テレビCMを流すようになり、当時よりはかなり『電話相談』を出品する人が増えたようです。

 

ですから、以前よりかかなり競争相手が多くなっています。

ただ、CMによって相談する側のユーザーも爆発的に増えています。

 

したがって、自分の商品が上位表示されるように正しく出品すると、以前よりもっと稼げるチャンスは広がっているのです。

 

私は現在、Googleアドセンスブログのアクセスが急増し、他の方とコラボして違うネットビジネスもやっています。

 

したがって、電話相談の時間があまりとれないので、半年以上『退席』を続けています。

電話相談の面白さと『稼げる』を多くの人に実感していただきたいと思い『ココナラ電話相談マニュアル』を販売しています。

 

これがなかなか好評です。

興味ある方はこちらから覗いてみてください。商品説明を読むだけなら勿論、無料です。

 

では、セミナー講師が一般的には誰も体験しない事だと言って強い興味を持ち、電話相談をやってみるよう勧めてくれたこととは何か?

それについて書きます。

あなたにはこんな過酷な体験は必要ありません!

危険

まず、普通の人生ではあまり経験しないだろう、私の実体験をまとめてみました

 

・借金20億円に追われる生活を長い間送ってきた。
・競売によって家を失う。
・家財の差し押さえを2度経験。
・生活に困窮していた時、ようやく入金にこぎつけた虎の子の100万円を銀行口座で差し押さえられる。
・宗教に翻弄され、多額の金銭をつぎ込む。
・数億円規模の詐欺にあう。

 

すべて本当の話です。

決して大げさではありません。

 

むしろ、抑え気味の表現です。

嘘だと思う方は、ここで読むのをやめてください。笑

 

 

今回は、20億円の借金から這い上がれた理由と、その過程で浴びた罵詈雑言、そして心に熱く今も残る人々の温かい人情などを話していきます。

 20億円の借金でも自己破産できない苦悩と自業自得

解放

私は20億円もの借金を背負いながら、自己破産はしていない。

それには深い理由があるのです。

 

商売が行き詰まり、金利の返済も滞りがちになっていた時、ある金融機関の専務理事から呼び出され、本店の会議室で面談した。

 

専務の両脇には若い社員二人が控えていた。

「社長、このままでは終われないでしょ。かと言って何も手を打たなければ、討ち死にですよ」

 

「2千万円融資します。これで、何とかしてください。担保は何でもいいです。3番、4番担保でいいですから、用意してください」

 

「それと、あなたが社長の会社には融資できません。稟議が通りませんから。子会社の方で良いですから、誰かを社長にして下さい」

 

私は藁にもすがる思いで、当時大学生だった長女を社長にして融資を受けた。

素直な娘だったから、親のやることに一片の疑いも持たなかったのだ。

 

計画性もない、緻密さなど求める方がおかしい。

これと言った技術や才能もなく、行動力と運だけでやってきたのだから、バブル崩壊後の厳しい経済状況下では何をやってもうまくいくはずがない。

 

2千万円は1年ほどで使い果たしてしまった。

平成8年ころのことだったと思う。

 

すでに大手銀行が複数潰れ、追加融資してくれた金融機関も危ないと、噂が立った。

家が競売にかけられ、債権は整理回収機構に譲渡された。

 

金融機関や債権を保有する会社への対応で私は疲れて果てていた。

死にたいとは何度も思ったが、具体的に死の方法を考えるまでには至らなかった。

 

ただ、夜眠りにつくときは、

「もうこのまま、明日が来なければよいのに」

毎晩のように、そう思う日が続いた。

 

『途に倒れてだれかの名を♪♪ 呼び続けたことがありますか♬』

と中島みゆきさんは失恋の悲しみを歌っているけど、それよりもっと辛らかったと思う。

 

自己破産しようと思ったこともあったが、私が自己破産すると2千万円の取り立ては娘に向かう。

 連帯保証人とは恐ろしい。

 

だが、後悔したって始まらない。

自分が踏みとどまる他なかったのだ。

 

前後を考えない軽率極まる行動で、家族を巻き込むなど最低の男だった。

どんなに悔やんでも解決できるわけではなのだから、娘に牙が襲いかかるのだけは何としても阻止しなければならない。

 

潰れる前の金融機関や債権を引き継いだ整理回収機構には、娘を保証人から外すよう何度も交渉した。

 

しかし、返ってくる答えは決まっていた。

「金融機関は生きている保証人をはずことはできない。増やすことはできますが」

 

整理回収機構で一度だけ悪態をついたことがあった。

いつもは2人の対応だったが、その日は3人いた。

 

そのうちの真ん中に座った、初対面の男が言い放った。

「返せないなら、家まで行って身ぐるみしっぺ返しますよ」

 

「何、やれるならやってみろよ!お前に、俺の家に土足で上がる権利があると思っているのか?

俺は、お前から金を借りたわけじゃないんだ」

 

次の面談では相手側の顔ぶれは全員変わっていた。

対応したH部長は、何故、複数人で対応するのか、どうしてこの部屋に至るまで、3度もセキュリティを通らなけてはいけないのか、などを細かく説明した。

 

勿論、この部長にも娘の件は訴えた。

だが、やはり答えは変わらない。

 

もう飽き飽きするほど、同じお願いを繰り返した。

相手もまたかと言う表情で、ついには儀式になってしまった。

 

ところがである、ある日H部長から携帯に連絡が入った。

「明日の午後必ず来てください。私は近々、転勤になります。会うのは最後ですから、必ず来てください」

 

いつも必ず二人以上いたが、その日は部長一人だった。

挨拶もそこそこ、部長が切り出した。

 

「どうやっても娘さんを保証人から外すことはできない。でも、この書類を後でじっくり読んでください。いいですか、ずーと保管しておいてください。何かあったら、この書類を見せてやってください」

 

部長は珍しくエレベーターまで送ってくれた。

「Aさんとはもう会うことはないだろうね」

 

私はエレベーターのドアが閉まってからも、しばらく頭を下げたままでいた。

と言うより、こみ上げるものがあって顔を上げられなかった。

 

交渉を始めて7、8年は経っていたと思う。

H部長は私の願いをずーっと気にかけていてくれたのだった。

 

受けとった書類を持って、弁護士事務所を訪ねた。

私は借金返済で、弁護士にはほとんと相談しなかった。

 

だが、この書類だけはどれほどの効力を持つのか、専門家に聞きたかった。

H部長を信頼はしていたが、専門家の言質が欲しかった。

 

「これは、上手くやったね」

私より一つ若い、実に冷静な弁護士だった。

その一言で、すべて納得することができました。

 

私は、金融機関の人間から数々の罵詈雑言を浴びた。

「あんたも、人間だろ、人間らしいことをしなよ」

 

「良い人間はみんな早く死ぬんだよなあ」

一時期、日本の自殺者は3万人を超えたことがありました。

 

でも、振り返ってみれば、H部長のような好意的に接してくれた人の方が、比率では圧倒してる。

生き延びてこれたのはそのおかげかも知れない。

 

最も大口だった債権者も潰れてしまったが、こちらは債権を外国企業に売った。

潰れた会社で残務整理をしていた常務が、掃除の仕事をしていたスーパーまで、私を訪ねてくれた。

 

二人で蕎麦を食いながら常務は言いました。

「オランダの会社に御社の債権を売りました。ヨーロッパの会社と言っても、日本に支社も支店もありません。弁護士事務所が窓口になっているだけです」

 

「100%とは言い切れませんが目立つようなことしなければ、おそらく請求は来ないと思います。 死んだふりしていてくださいよ」

 

親会社の生命保険会社がお金を払って、不良債権を一括して買ってもらったのだという。

だから、請求が来る確率が低いとのことだった。

 

債権者がお金をつけて第三者に債権を引き取ってもらう。

当時は貸した方も不良債権処理に苦労していたのです。

 

理由はよくわからないが、その後整理回収機構の債権がサービサーに売られた。

その頃には別なサービサーに勤めていた人物と懇意になっていた。

 

この知人からのアドバイスによって、サービサーへの返済は間もなく終わったのです。

バブル崩壊直後のサービサーは信じられないほどの二束三文で、金融機関から不良債権を買っていた。

 

極端な例では、3億円の不良債権を100万円で買うケースもあったようだ。

しかも、融資していた銀行から直接買ってその額であった。

 

整理回収機構からサービサーに売られた私の債権譲渡は二度目だ。

言わば不良債権のバーゲンセールだ。

 

これはもう二束三文以下に違いないと知人が教えてくれた。

私はサービサーの担当者と直接会って返済額の交渉をした。

 

サービサーは債権の買取り額に、いくらかでも上乗せできれば赤字にはならない。

債務者と連絡を取ることすら難しいのだから、こちらからノコノコ出かけるなんて、カモがネギを背負ってきたような話だ。

 

大抵は早期の処理を優先する。

金額は2度目の交渉でケリがついた。

 

サービサーとの債権債務が片付いて、例の弁護士と会った。

「まあ、よかったね、サービサー法のお陰だよ。サービサー法が出来ていなかったら、債権が暴力団に売られる。以前は、そうなる前に自己破産しか選択肢はなかったんでよ」

 

この10年間以上、借金の督促は一度もない。

あれはほど悩み苦しんだ2,000万円の保証人問題が解決すると借金の督促もなくなり、自己破産の必要もなくなるのだから、不思議と言うか皮肉というべきか、人生とは不可解なものだ。

 

私が保証人となって抱えた借金は帳簿上が約14億円だったが、実は帳簿外で約6億円あった。

そのうち5億円は借用書も書いていないものだった。

簿外債務の6億円がチャラになった理由とは?

6億円の簿外債務は、相手に借りた金額以上のメリットを与えたから、自然消滅した形となった。

1億円近い金額を借用し、金銭貸借書も作成していた方の会社は総務部長がはっきりと言いました。

 

「あなたの会社と我が社には、一切の貸借はありません」

「もう、しばらくは会うこともないでしょう」

 

借用書なしで5億円用立ててくれた会社は、わざわざ新任の経理担当常務が我社を訪ねてくださいました。

 

「社長、いつでも会社へ遊びに来てください。

堂々と今まで通り」

 

なぜ、2社ともこうなったのか、一つだけ説明しましょう。

5億円を借りていた会社に対しては、私があるプロジェクトを止めたことがあるのです。

 

バブル崩壊後の平成4年頃だったと思います、私はその会社の取締役会に出席すようオーナ社長から要請を受けました。

 

超ワンマン社長から60億円の新規プロジェクトに対する意見を求められたのです。

役員会議の場で、あらゆる悪材料と数字を並べて私は反対しました。最後のダメまで押した。

 

「金融機関などに対して、どうしても進めなければならない義理や事情があるのだったら、別会社を作ってやるべきです。何があっても本社に影響が及ばないように」

 

これを聞いてワンマン社長が一言放った。

「やはり、人の話は聞いてみるもんだ。分かった、分かった」

 

会議に出席していた取締役や幹部社員からは、思わず安どの表情がこぼれた。

役員など関係者は全員反対だったが、超ワンマン社長が怖くて進言できなかったのです。

借金から解放され出版会社に勤務!そこで知った興信所の限界とは?

本棚

借金から解放されたころ、私にも平穏が訪れました。

ゴルフ業界誌編集長やゴルフ場の役員などが集まって小さなパーティが催され、私も参加しました。

 

そこには初対面の元雑誌編集長を紹介され名刺交換した。

大いに盛り上がったパーティの2日後、初対面の出版社元編集長から私の携帯に連絡が入ったのです。

 

できるだけ早く会いたいと言うのだ。

会うと彼はいきなり切り出した。

 

「うちの会社で仕事を手伝ってくれないか」

自分は取締役だったのを降りたが、顧問として始まったばかりの新企画を手伝っているのだと言う。

 

友人たちから私の過去は聞いているらしく、会社に採用を推薦した場合、恒例に倣って興信所の調査があると言った。

 

言外に会社経営をしていた時の借金を心配しているのが分かった。

「問題はありませんよ」

 

そう言いながらも興信所と聞いて、少し不安な気持ちになったことは確かだった。

最終決定するまでには2週間がかかると言うことだったが、出版社勤務など思いもよらない話だった。

 

給与面など待遇も悪くなかった。

2週間待つ以外に選択肢はなかった。

 

しかし、人生とは何が起きるか本当に分からない。

10日もしないうちに私は、興信所の結果を知ることになった。

 

興信所の調査員から私の携帯に連絡が来たのだった。

依頼者から、住所、電話番号などプライバシーに関する情報は得ているのは当然だと思い、何の疑問もなく会うことにした。

 

待ち合わせのカフェに行くと調査員はすぐに私のことを分かったようで、席を立って声をかけてきた。

席に着くと私に対するお詫びとお願いから始まった。

 

話す調査員の顔は次第に青ざめていくのが分かった。

今回のような個人調査で、調査員が調査対象と会うことは厳禁なのだと言う。

 

つまり、彼は立場上、私に会ってはいけないのだった。

これが依頼者や所属先にバレたら即刻クビらしい。

 

だが、どうしても会わなくてはならない事情が発生した。

肝心要のことが調べられなくて、明日の締め切りまでにどうしても報告書が書けないのだと半泣き状態で訴える。

 

少し前に施行された個人情報保護法が邪魔をするのだと言う。

私はすべて答えてあげた。

 

彼は愚痴をこぼしながらも、安心して帰って行った。

これではあと数日を残して、調査結論は出てしまったも同然だった。

 

入社が決まって、雑誌にインタビュー記事を載せることが主な仕事になった。

ゴルフ場経営会社のトップを中心にしたインタビューだった。

 

これまでの人脈を生かして自ら人選し、アポを取った。

私を誘ってくれた顧問が録音、文字起こし、編集をすべて担当した。

 

写真撮影は顧問の古くからの友人で、スポーツ新聞で野球担当だったカメラマンがアルバイトで引き受けてくれた。

 

インタビューの相手は延べ50人を超えていたと思いますが、誰一人約束の時間以内に終えた人はいませんでした。

 

インタビューに応じたすべての方が、時間を超えて話してくれたのです。

聞き役に徹し質問を工夫したので、本当に皆さんよく話してくださいました。

 

中には

「ちょっと待ってよ、いいかなAさん」

「はい、社長もう約束の時間を過ぎていますから、終わりにしましょうか」

「いや、そうじゃなくて、たばこ吸ってもいいかな?」

 

社内全面禁煙にもかかわらず、自ら戸棚を開けて灰皿を引っ張り出し、たばこをくゆらせながら再び話し出す豪快な社長もいましたね。

 

サラリーマン社長もいればオーナー社長もいました。

いずれにしても、成功者には違いありません。

 

やはり、皆さん話したいのです。

成功した道のりやこれからの方針などを。

 

とても楽しい仕事でしたね。

その後、私が所属していた部門が、身売りすることになった。

 

一緒に身売り先に行く選択肢もわずかにありましたが、全く魅力を感じなかったので、会社に残りました。

 

役員がわざわざ出向いてきて、

「Aさん、納得できる方を選んでください」

 

契約社員だった私はその出版社に担当雑誌がないまま1年半ほど在籍しました。

定年の年齢を1年過ぎていましたが、人脈の紹介や取材のアポ取りなど手伝って後輩には重宝がられました。

 

そして退社後、北海道へ帰ってきたのです。

インタビューで聞き役に回ったことも、電話相談には役立ったと思いますね。

 

今は昭和時代とは違います。

多額の借金をしても生き延びることはもちろん、再起することだって十分可能です。

 

逃げずに対処すると相手だって人間だ。

互いにのやり取りの中で必ず助かる方法が見つかるものです。

 

興信所に関するところでも書いてあるように、借金は自分から話さなければ決して周囲に分かることはありません。

 

個人情報保護法が制定されて、銀行などまともな金融機関であれば一切情報は外に漏れません。

仮に自己破産しても外部の者が知ることはできません。

 

官報には載りますが、こんなもの一般人は読みません。

したがって、会社は知る由もありませんし、家族だって自分から話さない限り知りようがないのです。

 

どんな難題にぶつかろうともあきらめないことです。

くじけなければチャンスは必ず巡ってきます。

 

どんな苦しい時でも、他人に与える心を失わないことです。

与えると言いば、多くの人はおカネやモノを連想するでしょう。

 

だが、無一文でも人は他人に与えることができます。

・人にやさしい言葉をかける

・励ましてあげる

・親切にする

・感謝の気持ちを言葉で伝える

・労いの言葉をかける

 

まだまだ、たくさん与えることはあります。

心と言葉と時には自分の身体を使って、人に与えましょう。

それが出来たら、あなたはきっと幸運に恵まれます。

 

 

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