ジミー大西は、とても才能に恵まれた人です。
その一つが天然ボケですね。
彼の天然ボケの才能を認める大物芸人はたくさんいます。
古くは上岡龍太郎さん、島田紳助さん、そしてたけしさん、松本人志などもその類まれなる彼の才能を絶賛しています。
師匠であるさんまも、口に出してほめることはありませんが、これまで懸命に面倒を見てきのは、彼の才能を認めていたからに違いありません。
彼の天然ボケによるエピソードはあまりにも多すぎて、何から先に言えばよいのか分らないほどです。
例えば、吉本に入社したいきさつが常識ではとても考えられません。
高校卒業に当たり、彼は普通の企業へ就職することを望みました。
けれども、余りの成績の悪さに採用する企業はないだろうと考えた先生は、吉本へ入ることをすすめたのです。
担任の先生が自ら吉本へ出向き、彼の就職をお願いします。
高校在学中からアルバイトに行くことを条件に何とか就職先が決まりました。
しかし、ジミー大西はこのように言います。
「大ファンだった早見優は吉本所属で就職したら会えると思ったから入った」
と主張するのです。
早見優が吉本所属と考える事も彼の天才的な能力の一つなのでしょうか。
さて、吉本に入ったものの、その天才的な天然ボケに理解を示す社員はいません。
半ば見放された状態の彼に救いの手を差し伸べたのは明石家さんまでした。
さんまは自分の運転手をやるように言いつけ、免許を持っていなかったジミー大西を教習所に通わせます。
最短で免許を取得できるように合宿までさせました。
勿論、費用はすべてさんまさん持ちです。
ところが、ジミー大西は実技試験は難なく合格したものの、漢字が読めないから筆記試験に通りません。
試験に落ちるたびにさんまさんは合宿所へお金を送り届けます。
ジミー大西が無事、運転免許を取得するまでに半年の時間を費やしていました。
怒ることもなく、お金を送り続けたさんまも偉いのですが、悪びれることなく半年も合宿所にいたジミー大西は、やはり天才と呼ぶべきなのでしょうか。
さんまさんは当時を振り返りこのように言ってます。
「あいつに免許取らせた金で、車がもう一台買えたわ」
さて、免許取得で晴れてさんまさんの運転手になっても
信じがたい天然は続きます。
ある日のことでした。
さんまさんを乗せた車が高速は走っていましたが、急にピタリと停まったまま動きません。
さんまが、なんでこんなに混んでいるのだろうと前方に目を凝らしたら、なんと目の前には路肩に停車した車が一台あるだけでした。
料金所でお金を払うとき、窓を開け忘れてガラスに手の甲を強く打ち、骨折してしまったという信じられないエピソードまであります。
それでもさんまは、ジミー大西の才能を見捨てませんでした。
吉本の社員がこんなの売れるわけがないと見放しますが,、さんまさんはあきらめません。
一発芸をいくつか教えて舞台へ立たせるとそれが大当たりで、やがてテレビからも声がかかります。
テレビに出て、師匠のさんまに教えられたギャグを連発するだけで大うけするのです。
最盛期の売れっ子ぶりは大変なものでした。
レギュラー番組が10本あり、CMには8本出演し、3000万円の年収を得ていました。
このころ彼はまだ20代でしたが、しかし、これだけ稼ぎながら貯金はゼロだったといいます。
収入のほとんどを大好きな競馬や競艇につぎ込んではスッてしまうのでした。
折角稼いだ金はギャンブル以外にも多くつぎ込みます。
それが風俗でした。
ある芸人が風俗通いは「週一くらい?」と聞くと「いや、毎日」と答えるのですから、言葉を失ってしまいます。
極度の緊張から気分転換を図る為に、仕事の合間を盗んでは風俗に行っていたというのです。
ジミー大西は舞台での天然ボケもスゴイのですが生活そのものがギャグと言えるでしょう。
そして、彼のもう一つの才能は絵です。
彼の描く絵は観る人に
「モチーフの自由な取り合わせが不思議な魅力を放っている」
と言わせる、個性豊かな画風で知られています。
『EXテレビ』や『世界ウルルン滞在記』などの企画で絵を描いたところ、複数の抽象画家から絶賛されました。
大阪万博の『太陽の塔』で有名な岡本太郎さんもジミー大西の絵を高く評価した一人です。
ついには「君は画家になるべきだ」としたためた手紙まで送ってよこすのでした。
その手紙を受け取りジミー大西は、画家になる決意を固めたのです。
画家転向の話を聞いた松本人志はこのように言っています。
「もったいないなぁ。彼には誰も勝たれへんで!他に辞めなあかん奴いっぱいおんのに」
と言って彼の才能を惜しみました。
松本人志の他、あのたけしもジミー大西の才能を惜しんだ一人です。
多くの人に天然ボケを惜しまれつつ、1992年に画家としての活動をスタートします。
ピカソにあこがれを抱いていた彼は、絵画修行のためスペインに留学しました。
このスペイン留学は大きな成果を生みます。
日本へ帰国すると全国各地から個展の引き合いがあり、本人もびっくりするほどでした。
絵も飛ぶように売れて、最高値は700万円を付ける人気画家となります。
しかし、ジミー大西は画家をやめてしまいます。
海外から帰国してしばらくしたある日のことです。
ラーメン屋さんの店先に張り出されていた時給1,000円の店員募集が目に留まります。
そして彼は計算します。
なんと、自分が描く絵は時給380円との答えが出たのです。
バカらしい、こんな商売やっていられない。
そう考えて画家をやめてしまうのでした。
再びテレビで一発芸を披露する日々が始まりました。
ここでまた、大師匠のさんまが登場します。
ジミー大西を食事に誘い、画家をやめた理由を聞きます。
時給380円にしかならなことをジミー大西は訴えました。
黙って聴いていたさんまさんが言います。
「人を楽しませるのに時給がいくらであろうが関係あらへんやろ」
この言葉に心を打たれ、ジミー大西はまた絵筆を持つと誓うのでした。
それにしても、明石家さんまは本当に偉い人ですね。
ジミー大西は画家をやめるとき、恩人であるさんまさんには一言も相談していません。
だが、それに腹を立てることもなく、彼の将来を心配して再び画家に戻るように説得したのです。
簡単にできることではありません。
でも、一つ気になることがあります。
天才、ジミー大西はどのような計算で時給380円と結論付けたのでしょうか?
案外、さんまもその計算の危うさに気が付いていたのではないでしょうか。
さて、ジミー大西は画家に復帰して、今度は順調のようです。
現在、画業30周年を記念して『POP OUT』を展開しています。
個展は2022年4月の銀座三越を皮切りに約1年間かけて全国を回るスケジュールです。
今回の巡回個展は高須光聖という大物プロデューサーが支援しています。
彼から
「ジミー、もっと大胆な発想で描いてみたら」
と言われ、より個性的な絵を描けるようになったのだそうです。
このような人がバックアップしてくれるので、さんまも今度は安心でしょう。
そして、ジミー大西にはもう一人頼れる人が存在します。
それは、美人だと評判の奥さんです。
えっ、ジミー大西は、独身ではないかって?
いえ、いえ、結婚しています。
彼が独身だと思っている人は多いようですね。
『結婚していて驚いた芸能人』というアンケートで堂々と1位に輝いたのがジミー大西さんですから、無理もない話です。
ジミー大西と奥さんの馴れ初めもまた面白そうなので調べてみました。
彼の奥さんは、実は彼の専属マネージャーを務めていた女性です。
ジミーはある日、ロケで地方に行ったのですが、悪天候で仕事は中止になりました。
やることもないので、マネージャーと二人でトランプ遊びをしたそうです。
この時にジミー大西が惚れてしまい、懸命に口説きます。
得意の天然ボケを連発したのかどうか知りませんが、交際することになったのです。
二人の交際は順調に続き、1997年に結婚しています。
画家になってスペイン留学した時も、マネージャーだった彼女は現地へ足を運びました。
この時にとても助けられ、彼女なしでは生きていけないと思い、プロポーズしたのです。
ジミー大西のプロポーズの言葉は「僕が責任をとる」だったと伝えられています。
なかなか、男前で格好いい言葉ですね。
果たして、ジミー大西は『日本のピカソピカソ』になれるのでしょうか。
期待は膨らみます。