清楚な雰囲気なのに少し小悪魔的なしぐさを見せる石田ゆり子さん。
きれいな女優さんですね。
20年以上前からきれいなお姉さんでしたが、年齢を重ねた今も衰えるどころかその魅力は増しています。
40歳を過ぎてから、さらにきれいになり50歳過ぎた今でもお姉さんで通用するとても稀な女優です。
こんな美女が結婚の経験はありません。
今回は石田ゆり子さんの衰えを知らない魅力の秘密と結婚しない理由に迫りました。
石田ゆり子、清楚の秘訣と実物のきれいさにうけた衝撃!
一般の女性でも石田ゆり子さんを生き方の目標やモデルにしている方も多いと言います。
美貌や外見だけでなく、繊細かつ大胆で周りに流されない芯の強い人だと思われているのも、その大きな理由でしょう。
彼女のことを「顔より性格が美人な女性」と思っていました。
そんな彼女と恵比寿の有名なデパ地下で、ばったり遭遇したことがありました。
いやー、そのあまりにもきれいさに、瞳孔が開きっぱなし。
会ったのは2019年の秋ころで、彼女はマスクをしていなかったから、すぐにわかりました。
改めて見ると美人ですね。
本当にきれいでしたよ。
日本で一番の美人女優は、石田ゆり子さんではないでしょうか。
これまで抱いていた思いは、即取り消しました。
「彼女は心も顔も美しい女性です」
女優さんのほどんとは、テレビ画面を通してみるよりも実物の方がきれいです。
本物の石田ゆり子さんは、中でもピカ一でした。
見たのはちょっとの時間だったけど、肌がつやつやしていてすごくきれい。
いや、光り輝いていました。
「それに比べ、うちのかあちゃんは・・・・・・」
「それを言っちゃ、おしめぇよ」
寅さんの声が天から聞こえてきます。
高嶺の百合と道端に咲く花を同じ次元で比べてどうするのって、話です。
たしかに、ブドウやイチゴ、リンゴなどは見た目からして、つややかで美味しそうですが、肌がザラザラしているパイナップルだって一皮むくと、酸っぱさと甘味が程よく調和されて、美味しいし、栄養もたっぷり含まれています。
なんでも、それぞれ長所を持っていますから、そこをよく見てあげるよう心がけましょう、お互いに。
とはいっても、やっぱり石田ゆり子さんはきれいです。ごめんなさい。
それで、デパ地下で買い物をしていた彼女ですが、カートにはペットフードらしきものが山のように積み込まれていました。
調べてみたら、石田ゆり子さんは犬1匹と猫5匹の大家族で暮らしているようです。
動物好きなんですね。
そんな彼女を『奇跡の50代』とか『奇跡のアラフィフ』とメディアは呼びます。
だが、奇跡の一言で片づけてしまうと彼女の真の姿を見失ってしまう。
石田ゆり子さんは努力家であり、ストイックとも言えるほど自分に妥協しない部分があります。
それを知るために簡単に彼女のプロフィールを見てみましょう。
1969年10月3日生まれの東京都出身です。
小学生の時には水泳の平泳ぎでジュニアオリンピックに出場し8位に入賞しています。
中学時代の3年間は父の仕事の都合で台湾の台北市に住んでいました。
台北時代は妹で女優の石田ひかりさんと共に台湾のナショナルチームに所属しています。
水泳は芸能界入りするまで続け、高校1年生の時に自由が丘にある亀屋万年堂の前でモデルとして
スカウトされる。
1987年に全日空の沖縄キャンペーンガールに選ばれてテレビCMやポスターなどに登場します。
翌年の1988年11月にはテレビドラマ『海の群星』に出演し女優デビューを飾る。
同じ年に 東映の映画『悲しい色やねん』に出演し女優として本格的に歩み始めたのです。
その後は、ご存じのようにドラマ、映画、そしてCMにと大活躍をしています。
経歴を見てお分かりのように彼女は子どもの頃から水泳で鍛えられました。
だから、自分を厳しく律することや摂生には慣れているのです。
今でも筋トレは欠かしませんし、食生活にも人一倍気を使います。
納豆、味噌、ヨーグルト、キムチなどの発酵食品は毎日欠かさず食べると決めている。
このような普段の生活が彼女の美を保っているのです。
何もせずに奇跡が起こるなどということは、決してありません。
彼女は言います。
「美容と健康は切り離せません」
「健康で幸せであることが、美しさにつながる」
が彼女の美に対する哲学です。
スキンケアや食事面に気を配るとともに、心のケアも大切だと考えます。
不健康で不健全な思考は美を損う、が彼女のポリシーです。
そういえば、石田ゆり子さんが深夜まで飲み歩いていたとか、どこかでどんちゃん騒ぎをしていたなんて、聞いた事がありません。
初々しさや清潔感が損なわれないのも、身心の健康に留意していることが大きいのです。
さて、先ほども述べましたが石田ゆり子さんは1988年に放送されたNHKの単発ドラマ『海の群星』で女優としてデビューしています。
沖縄県の石垣島が舞台で、緒形拳さん演じる厳しい漁師の親方の下で働く健気な少女に扮しました。
家が貧しかったため、親方が実の親から買ったとの筋書です。
南国の石垣島が物語の舞台なので肌は日に焼けて真っ黒です。
だが、売られた少女役にも関わらず清潔感と初々しさ、清楚な雰囲気があふれていました。
今も、あの30数年前と変わらない清楚さを身にまとってままです。
30数年間も変わらぬ持ち味を維持する女優さんなんて、その存在は貴重な存在だ。
しかし、女優さんですから清潔感や清楚だけでは長い間人気を維持することはできません。
年齢に応じたプラスαが求められます。
石田ゆり子さんにはそのプラスαが備わっているから人気も衰えません。
冒頭で述べた小悪魔的しぐさです。
彼女の何気ないしぐさにそれを感じる男性はたくさんいる。
俳優も女優も横顔と後ろ姿が大事だと巨匠・黒澤明監督が言っていました。
石田ゆり子さんは横顔がとてもきれいな女優さんです。
さて、後ろ姿はどうだったでしょうか?
今度、テレビドラマで確認してみましょう。
ある、映画評論家によると石田ゆり子さんは、高倉健さんや森光子さんに似てきたのだそうです。
どこが似てきたかと言えば、何を演じても石田ゆり子になるところ。
これは、決して演技が下手だと言っているわけではありません。
高倉健さんや森光子さんはどんな役をやっても、ファンが求める高倉健、森光子になったのだと彼は言います。
石田ゆり子さんも、その領域に近づきつつあるという、最高の誉め言葉になります。
そういえば以前、不倫する人妻役に扮したじたことがありました。
それを観て彼女が悪いのではない、こんなきれいな妻の相手をしない夫が悪い。
そんな風に思ってしまうほどでした。
彼女が演じると不倫妻さえも、決して汚れ役じゃなく見えるから不思議です。
石田ゆり子が結婚しない理由は過去に付き合った男にある?
さて、その石田ゆり子さんですが、50歳を過ぎているけれども結婚したことはありません。
結婚しない理由は何でしょうか?気になりますね。
では、なぜ結婚しないのかのを考える前に彼女と噂になった男性を振り返ってみましょう。
石田ゆり子さんが過去に交際していた相手として、最も有名なのが俳優の石黒賢さんです。
2人は1992年に放送されたドラマ『さよならをもう一度』で共演し、このことがきっかけで交際に発展します。
結婚秒読みと言われましたが、2年ほどで破局してしまいます。
原因は石黒賢さんのギャンブルや浮気性なところです。
結婚を真剣に考えていた石田ゆり子さんは、父親に相談しましたが大反対をうけてしまいます。
その結果、石田ゆり子さんのほうから別れを切り出したようです。
続いて噂になったのは男闘呼組の岡本健一さんです。
1997年に石田ゆり子さんが主演をつとめたドラマ『不機嫌な果実』で共演しています。
ドラマで二人は不倫関係になるという設定です。
岡本健一さんは当時、結婚していました。
そのため皮肉というべきか、ドラマの不倫関係が現実になってしまい、世間から批判されます。
やがて、なんだかよくわからないうちに二人は破局するのでした。
もう一人が和太鼓奏者の内藤哲郎さんです。
石田ゆり子さんがナレーションを担当した『鼓童〜地球を一本のロープでつなぐものたち〜』という番組がきっかけで知り合います。
しかし、内藤哲郎さんが経済的に彼女を頼っていたという話や女癖の悪さがささやかれ、あまり長くは続きませんでした。
このようにみてくると付き合っていた男性全員が浮気性というか、女癖が悪いというか彼女は男運が良いとは決して言えません。
「健康で幸せであることが、美しさにつながる」
彼女はこのように言ってます。
ですから、独身の今でも十分幸せだということです。独身主義ではありませんが、結婚は焦らないということでしょう。
これまでの経験から女癖の悪い男を捕まえるよりも、独身でいた方が幸せだと思っているのかもしれません。
石田ゆり子さんの本名は『百合子』です。
これはお母さんが聖書からとって名づけたといいます。
「たとえどんなに着飾っていようとも、野に咲く一本の百合の花にはかなわない」という意味があります。
石田ゆり子さんのつややかな肌やきれいな目鼻立ちを見ていたら、なんとなくお母さんの狙い通りのような気がしてしまいます。
どんな高級ブランドでも、石田ゆり子さんの素顔と素肌にはかないません。
ところで、彼女は天海祐希さんととても仲が良いことで知られています。
年下の彼女は天海祐希さんを「アニキ」とと呼ぶのだそうです。
こちらの方は、とてもピンときますね。
石田ゆり子さん、あなたには重大な義務があります。
日本中のファンのために、その清楚な初々しさ、そしてちょっぴり小悪魔的な魅力をいつまでも保つことです。