氷川きよしは2022年いっぱいで歌手を一時休業し、休養に入ることを公表している。
大みそかの第73回NHK紅白歌合戦では紅白の枠を超えた『特別企画』として出場し、活動休止前のラストステージを飾ることになった。
そして、ジェンダフリーをカミングアウトしました。
これからは氷川きよしを「彼」と表現するべきか「彼女」と表現するか迷ってしまいます。
いや、『ジェンダフリー』なんだからどちらでもよいのではないでしょうか?
まてよ、どちらも当てはまらのかもしれない。
ウ~ン、難しいなあ。
氷川きよしは噂通りジェンダフリーだった!
「みんなが求める『氷川きよし』に徹してきたけれど40歳を過ぎた今、人としてもっと表現の幅を広げたいという気持ち。
そもそも演歌というのは様式美、つまり、こうあるべきという型があります。
日本独特の素晴らしい音楽だけれど、その中に収まらない『自分の性分』というものがあって・・・・・・」
これは、デビュー20周年を迎える直前の2019年12月に氷川きよしが週刊新潮のインタビューに答えた時の一部分だ。

氷川きよしは2000年2月、22歳の時に演歌歌手としてデビューした。
この当時から「歌謡界のプリンス」「演歌界の貴公子」と呼ばれ、彼は「男っぽい」「男らしい」のイメージを要求され続けた。
演歌歌手は「男」の強さと悲哀を歌い、「女」は、か弱さ、一途な純情を歌うのですからこれはある意味、当然のことですね。
しかし、彼は長い間「男らしさと」「真の自分」に違和感を感じながら演歌を歌い続けてきたのでした。
新潮のインタビューではこのようにも語っています。
「女性っぽさとか透明感とか、美について自分はいろいろな見せ方を持っていても、それを出してはダメなんだと思いながら、精一杯頑張ってきた。けれど素直な気持ちを言わずに生きてきたとの思いが次第に募ってきたのです」
人間、やはり自分を殺して生きることはつらい。
氷川きよしは次第に追い詰められたのだと言う。
「世間が求める『氷川きよし』の姿とは違う。
あくまで『演歌の王道』を歩んで欲しい、男らしく生きて欲しいと言われると、もうホントに死にたくなっちゃうからつらくて・・・・・」
彼の苦しくて、心の底からの叫びに近いカミングアウトはさらに続く。
「デビューさせていただいてからも、演歌の世界で、男の世界で生きていこうとやってきたけれど、
なにかが違うなと思っていて。私には私の生き方がある、それでいいじゃないかと自分に言い聞かせて、やっと納得することができたのです。こうして、世間に訴える勇気が湧き出てきたのです」
つまり、氷川きよしは週刊新潮誌上で「ジェンダーフリー」をカミングアウトしたのだ。
ジェンダーフリーとは戸籍上は『男』なのに心は女。
また、その逆に戸籍では『女』だが心は男。
あるいは、そのどちらでもない、ということ。
社会通念上、男には男らしさが求められ、女には女らしさが求められます。
そして好きになるのは、男は女を、女は男を、という風に異性であるべきだというのが世間の常識ですね。
だが、その常識に当てはまらない人も現実にはいる。
これがジェンダフリーであり「LGBTQ」とも呼ばれる。
氷川きよしは、自分はその一人だったということを告白したのだ。

氷川きよしは1977年(昭和52年)9月6日生まれ。
福岡県福岡市出身。
本名は山田 清志。
身長178cm。
体重62kg。
血液型はA型。
2000年2月「箱根八里の半次郎」で演歌歌手としてデビュー。
『やだねったらやだね』のフレーズが大ブレイクしたのは記憶に新しいところ。
この歌詞は演歌に興味のない人にも突き刺さり氷川きよしの名は一気に日本全国を駆け巡ったのだ。
演歌歌手のイメージを覆す爽やかなルックスで、たちまちオバサン世代のアイドルとなった。
2000年と言えば浜崎あゆみ、福山雅治、サザンオールスターズ、ポルノグラフィなどの歌が
大ヒットし、演歌は完全に落ち目だった。
そこに颯爽と登場したのが氷川きよしだったのだ。
これはもう、演歌界の救世主のような存在で『演歌の貴公子』『歌謡界のプリンス』ともてはやされるのは当然のことであった。
しかし、それが長い間、彼を苦しめていたとは、人は本当にわからないもの。
さて、では氷川きよしは実際に男を好きになり『彼氏』はいたのだろうか?
氷川きよしの恋人本命は松村雄基が有力だ!
いましたよ。
週刊誌にキャッチされた最も古い恋人は松村雄基でした。
2010年、写真週刊誌フライデーによってまさにフライデーされている。
2010年7月に二人は激写される。
夜道を歩く二人のツーショットが3枚載っていた。
松村雄基のズボンのポケットあたりにしがみつくように後ろからついていく氷川きよしの姿が強い衝撃を与えたのだった。
この時の記事によると二人は氷川きよしの自宅で逢瀬を重ねていたという。
時には松村雄基が泊まることもあったようだ。
記事では二人のなれそめまで紹介されていた。
親しくなったきっかけは、風間トオルの誕生会だった。
そのパーティーで席が隣同士だったことが二人を急接近させたのだという。
風間トオルも氷川きよし、松村雄基と同じ傾向だから、二人の好みを察知して配慮した可能性もあるが、確たる証拠はない。
フライデーにスクープされた直後、二人は別れたと言わた。
氷川きよしさんが、羽田空港で泣きながら「捨てないで」と電話していたとの目撃情報もあってそのようなうわさになった。
しかし、2014年にはやはり同じくフライデーによって二人の熱愛が再度スクープされたのだ。
この時は誰かの別荘で密会しているようだった。
ごめんなさい、誰の別荘かまでは調べることができず。
これらのスクープや目撃情報から、氷川きよしの彼氏は松村雄基さんだった可能性は極めて高いと思わる。
ただし、2014年のスクープを最後に二人の姿を目撃したという情報はぷっつり途絶えたままだ。
さて、二人は別れてしまったのでしょうか?
別れたとしたら、氷川きよしに新しい恋人ができたのだろうか?
いろいろ調べたら、驚くべき名前が出てきた。
そして、松村雄基より以前に彼氏がいた可能性もある。
平井堅とは台湾で二人っきりのデートを満喫した!
まずは、驚きの人の前に松村雄基より古いと思われる彼氏の名前をお伝えしよう。
その人はズバリ!平井堅。
2006年のことだった。
なんと!台湾の新聞に『氷川きよしと平井堅が恋人関係である』事が取り上げられたのだ。
台湾の首都台北市の繁華街を白昼堂々と二人仲良く手つなぎデートをしていたのだという。
以前から平井堅にはジェンダーフリーの噂が根強くあったことは確かだ。
もともと台湾はジェンダーに対する平等意識が高い国だと言われている。
異国の地で開放的な気分にしたった有名人が二人だけの甘く濃密な時間を過ごしたとしてもまったく不思議ではない。
台湾の現地メディアによって日本の芸能人がスクープ報道されるのは、とても珍しく信ぴょう性が高いと言える。
次に登場する人物の名前には、正直驚いた。
なんとなんと、嵐の相葉雅紀がその人。
『氷川きよし 恋人』で検索すると『相葉雅紀』の名前がけっこうたくさん出てくるから驚きだ。
あなたも『まさか!』と驚いたのではないだろうか?
相葉雅紀さんのファンなら、気絶してしまうかも知れない。
でもご安心を。
この二人が恋人関係であった事実は全くない。
相葉雅紀は2021年9月に一般女性と結婚している。
ではどうして、氷川きよしさんの恋人候補に相葉雅紀なの?
と疑問に感じてしまいますね。
これがちょっと不思議なことに二人の顔が似ているからなのだと言う。
・切れ長の目
・顔の骨格
・鼻筋
まあ、そういわれてみれば、確かに似ていますね。
でも、顔が似ているから恋人だなんて余りにもこじつけで、短絡過ぎますね。
はい、これによって相場雅紀恋人説は一件落着です。
この他にはあの渡哲也の名前もありましたが、これとて信憑性はほぼゼロに近いと思う。
もう一人名前が挙がったのは彦摩呂。
この方はゲイで有名だ。
ゲイの集まる新宿二丁目のバーによく出入りしている。
彦摩呂が常連のバーのマダムも証言しているが、確かに彦摩呂は氷川きよしを狙っていたようだが、氷川きよしが相手にしなかったらしい。
氷川きよしにはかつて女性の恋人もいた!
最後に書いておかなければならないのは、かつて氷川きよしには、女性の恋人もいたということだ。
かつては女性との交際もあったのだ。
2014年の事ですが、週刊文春で元マネージャーが発言しる。
「氷川きよしは女性と交際していた経験がある」
まあ、別に不思議ではありません。
当時の氷川きよしはビジュアル的に男性としてカッコ良かったですからね。
女性が惚れるのは当たり前のことだから。
しかし女性との交際は長く続かず破局する。
これも、当然と言えば当然のこと。
男性が好きなのだから、女性とのお付き合いが長続きするわけはない。
さて、では現在、氷川きよしに恋人はいるのか?
これは、どうやら松村雄基説が根強い。
2014年に別荘での密会をスクープされて以来ぷっつりと二人の噂は途絶えたままだ。
でも、惚れあった二人は密かに愛を育んでいる可能性が高いと思われるからだ。
氷川きよしさんがカミングアウトしたのだから今後、二人が堂々と交際宣言をする日が来るかもしれない。