藤井聡太五段の年収は?名人位はいつ奪取する?
気になりますね。
藤井聡太五段は2016年に史上最年少の14歳2か月で日本将棋連盟の四段に昇段し、プロ棋士となりました。
その後が凄まじい。
無敗のまま、公式戦最多記録となる29連勝を樹立します。
タイトル獲得、昇段記録、タイトル二冠から五冠までのスピード等など実に多くの最年少記録を塗り替えてきました。
藤井少年の連勝と躍進は、各メディアに広く取り上げられ日本中に大きな話題を提供します。
それまで、将棋を知らなかった人や無関心だった方も、彼の活躍には大きな興味を示すようになったのです。
これにより未曽有の将棋ブームが沸き起こります。
まさしく「藤井聡太フィーバー」でした。
藤井聡太竜王は勉強もできたが、運動能力も抜群の子どもだった!

彼が打ち立てた記録の中でも凄いのがデビュー戦からの29連勝です。
将棋をよく知る人ほど、この連勝に関しては驚きをもってとらえます。
プロ将棋界の連勝記録は長い間、神谷広志八段が1987年に達成した28連勝でした。
20を超える連勝は、この記録を含めて5回しかありません。
他は、24連勝が1回と22連勝が3回です。
将棋界において神谷広志八段の28連勝は、ほぼ不滅の記録のように思われていました。
しかし、藤井聡太少年は何と、デビュー戦から29連勝を記録したのですから将棋界に走った衝撃は計り知れないほどです。
デビューしたばかりの対局では、それほど強い棋士と当たりません。
だが、勝ち進むにつれて相手は強くなるのが、この世界です。
加えて、プロ棋士になったことにより彼を取り巻く状況が様変わりします。
アマチュア時代とは全く違った注目の中で将棋を指すことになるのです。
本来なら緊張して力を存分に発揮できなくとも不思議ではありません。
しかし、彼は環境の変化や重圧をものともせずに勝ち続けます。
素晴らしい適応力と集中力には驚くばかりです。
卓越した精神力と落ち着き、将棋に取り組む真摯な姿勢など、人間的魅力があふれんばかりに伝わってきます。
そして、たちまち五冠を達成してしまうのですから、恐ろしいほどです。
藤井聡太五冠は2002年7月19日愛知県瀬戸市生まれました。
現在20歳です。
師匠は杉本昌隆八段ですが、藤井五冠の活躍でテレビ出演などが急増し、とても有名になりました。
彼の活躍で、最も脚光を浴びた一人です。
藤井五冠が師匠の杉本八段と出会ったのは小学校1年生の終わり頃でした。
研修会の対局が終わったあとに行われた感想会で、藤井少年の言葉を聞いて杉本八段は驚きます。
「この場面はここに歩を打たないと、こちらに勝ちがない」
と藤井少年は主張したのです。
小学校1年生の子どもであれば通常、駒を取ったとか取られたとか、詰むとか詰まないといった、結果論に話題が集中します。
ところが藤井少年は
「歩を打っておかないと悪い結果を招く」
と言い切ったのです。
このころから、将棋に対する並ではない鋭い感性を持っていました。
後に師匠となる杉本八段には、その姿がとても強く印象に残ったのです。
だが、杉本八段はまだまだ現役で活躍したいとの思いが強く、多くの弟子をとりたいとは考えていませんでした。
弟子が一人多くなることは、その分責任も増すことになります。
そんな理由があり、自分の方から弟子に誘うようなことはしなかったのです。
しかし、藤井少年にはとてつもない才能がある。
間違いなくプロになるだろう。
そんな予感と確信はありました。
そして同時に、どこかよその門下生になることも予想できたので、悔しい思いもあったと言います。
それから3年ほど後のことでした。
予想もしなかったことが、杉本八段を待ち受けていたのです。
藤井少年が小学校4年生の夏のことでした。
杉本八段は名古屋市内の『コメダ珈琲』に呼び出されます。
待っていたのは藤井少年と、そのお母さんでした。
お母さんは少年を促します。
「ほら、自分の口から言いなさい」
杉本八段は、この段階までくればこの親子が何を言うために自分を呼び出したのか、当然心得ていました。
がだ、緊張で目も合わせることができない少年の口から
「奨励会試験を受けたいので、弟子にしてください」
という言葉が発せられるのをじっと待ったのです。
ようやくの思いで自分の意思を伝えた少年に対して、杉本八段は快く引き受けることを伝えます。
そうして、あまりにも大きな才能を見事に育て上げることができるかどうかの葛藤も、同時に抱えることになったのです。
藤井五冠は、とても優秀な子どもでした。
頭で勝負する将棋が恐ろしいほど強いのですから、勉強できるのは当たり前ですが、彼の場合は並外れています。
小学生のころから、宿題は休み時間にすべて済ませていました。
家で一度も宿題をやったことがないので、お母さんは宿題があるなんて、考えもしなかったのだそうです。
さらに、運動能力も半端ではありません。
中学校1年生の時、50メートル走を6.8秒で走ったと言うからこれは本当にスゴイ記録です。
全国の中学1年生の平均が8.4秒ですからどれほど速いのか、比べるとよくわかると思います。
中学、高校と陸上部で練習を積んでいたら、間違いなく100メートルや200メートルの種目でインターハイの全国大会に出られたレベルです。
かなりの素質だと言えます。
『好きだから自然に続けてきました』が藤井五段の強さの秘密だ!
さて、気になる藤井聡太五段の年収ですが、四段だった2020年は将棋界で4位の4,500万円と推定されます。
2021年はCM契約が2社加わって1億5千万円前後でした。
2022年はタイトル料が増えてので、2億3,300円くらいだったと言われています。
そして、2023年は2億円に届くとの噂さです。
まだ、20歳になったばかりですからすごいですね。
では、藤井五冠の将棋はどれほど強いのでしょうか?
それを知るためには、彼の持つタイトルの内容を知っておくことが大事です。
現在プロの将棋界には8つのタイトルがあり、タイトルには序列が存在します。
2022年の現在では、竜王戦が1位で名人戦が2位です。
8大タイトルの中でも、この二つは別格に扱われています。
以下は3位が王位戦、4位叡王戦、5位王座戦、6位棋王戦7位王将戦、8位棋聖戦の順です。
タイトル戦の序列はスポンサーとの契約金額によります。
つまり、賞金が高いほど序列が上位になるのです。
したがって、契約金が変更されれば、序列も変わることになります。
この8大タイトルの中で藤井聡太さんは『棋聖』『王位』『叡王』『竜王』『王将』の順で獲得し「五冠」と呼ばれているのです。
残るタイトルは『名人』『王座』『棋王』になります。
先ほど『竜王』と『名人』は、別格視されているといいました。
この両タイトルのいずれかを所持している場合は他のタイトルの有無に関わらず「竜王」または「名人」とだけ呼ばれます。
また、両方のタイトルを同時に保有した場合は「竜王・名人」という特別な呼称が与えられるのです。
過去に「竜王・名人」となった棋士は4人しかいません。
羽生善治さんと森内俊之さんが2回で、他には谷川浩司、豊島将之だけです。
けれども、実は『名人』こそ最高の栄養だと思っている棋士が多くいます。
スポンサーとの関係があり、大きな声で言うことはできませんが、歴史の長さなどを理由に「名人位は特別なタイトル」と考えているのです。
渡辺明名人はその思いを公言しています。
週刊将棋1994年1月26日号で「名人は天皇、竜王は首相」と表現しました。
さて、2023年の藤井五冠に期待される最大目標は、その、最高の栄誉である『名人位』です。
過去4人しかいない『竜王』と『名人』の同時獲得こそが最大の話題であり、焦点になることは間違いありません。
藤井聡太五冠の凄いところはタイトル戦の勝率にも表れています。
タイトル戦の勝率が高い棋士を見るとそうそうたる顔ぶれが並びます。
渡辺明名人の7割3分8厘を筆頭に木村義雄十四世名人、羽生善治九段、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人と7割以上の勝率を誇るのは5人です。
これに対して藤井聡太五冠はこれまでタイトル戦で負けなしの11連勝と勝率10割を誇ります。
素人にはその強さがよく理解できないほどのスケールです。
まさに桁違いとは、このことを言うのでしょう。
エンゼルスの大谷翔平君と並び称される若き異次元です。
そして、この二人ほどアンチが少ない有名人も珍しいですね。
人気に実力が伴っているだけでなく、人間性も素晴らしいことが理由でしょう。
さらにこの二人はいろんな意味で日本人のイメージを変えました。
彼らを見ていて稽古や練習に付きまとう「修行」や「苦行」を感じさせないのが凄いですね。
ストイックとか自己を律するのが、何も特別なことではない。
彼らにとっては、そのような生活が日常なのです。
好きなこと、定めた目標に真正面から向き合い、生真面目に取り組むことは楽しいことだ。そんな風に見えて仕方ありません。
藤井聡太五冠のインタビューを聞いていると本当にスゴイ、彼は常に前しか見ていないと痛感します。
例えば
「強くならないと見えない景色があると思いますので、そこに立てるように頑張りたいです」
「現状の自分の将棋に満足しているわけではない。一喜一憂せず頑張っていきたい」
次の言葉は、凡人には決して思いつかない発想です。
「せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい」
そして、この言葉こそが彼を象徴しています。
「意識的に取り組んできたことではないんです。
好きだから自然に続けてきました」
自然体で底知れない能力と魅力を備えた藤井聡太五段は果たして、どこまで天井を突き破ってくれるのでしょう。