北海道から沖縄まで、日本の地方には個性豊かな名コースが数多く存在する。
その中から、選りすぐりのコースを紹介しましょう。
昭和初期から自生し続ける野芝のコース、妖精が住む森に展開するコース、100,000本の植樹を誇るコース、風の重さと異国情緒あふれるコース。
トーナメント開催で有名なゴルフ場から、無名ながら素晴らしい景観美と戦略的なレアウトを持つ魅惑のコースまでを紹介します。
この記事は特別な許可を得て、https://c-golf.net/から転載しました。
小樽カントリー倶楽部への熱き想い、奥道後CCの驚き、白川国際CCの妖精とは?
<小樽カントリー倶楽部・旧コース>
北海道の歴史とともに歩んだ名門コースと言えば、小樽カントリー倶楽部と札幌ゴルフ倶楽部・輪厚コース。
小樽カントリー倶楽部は北海道ゴルフの発祥の地とも言える名門コースであり、日本オープンが2度開催されるなど国内でも指折りの難コースとして有名です。
旧コースの9ホールは昭和3年、資産家によって提供された牧草地であるが、野芝がほぼ当時のままの状態で自生している。
あえてフェアウエもラフも野芝のままにし、敷地内には大木がなく海風をまともに受け、英国のリンクスと環境や状態がとても似ているので、全英オープンに出場権を得た日本のプロがよく練習に来るようだ。
小樽カントリー俱楽部は北海道を超えて、日本を代表する名門コースだ。
小樽カントリー倶楽部の歴史を知れば、日本人がゴルフへ憬れた歴史が見えてくる。
現在、女子プロ・ニトリレディースゴルフトーナメントが毎年開催されている。
この大会には先人たちから受け継がれた、道産子のゴルフに注ぐ熱き思いが注がれている。
札幌G倶楽部・輪厚はご存知の巨匠井上誠一が設計した名門コースです。
長年、全日空札幌オープンが開催されるなど、北海道を代表するチャンピオンコースとして有名であり、札幌の名士が集う倶楽部でもあります。
昭和7年札幌市月寒地区に札幌の有志が集まり、『月寒リンクス』を開場するが、昭和18年戦争の影響により閉鎖されます。
昭和33年、月寒リンクスの創設にかかわったメーンバーを中心に現在の輪厚に新カントリー倶楽部を開場、名門コース札幌G倶楽部の新たな歴史が始まったのである。
心残りなのが札幌国際カントーリクラブ・島松Cです。
事情があってこの名門コースは9ホールしかプレーしていないのです。
森の深~い懐に抱かれた素晴らしいカントリークラブでした。
ぜひ、もう一度訪れて27ホールすべてを回ってみたい、いや絶対回るぞ!
あのゴルフ倶楽部の名門コースを。
新興勢力では、栃木県のホウライカントリー倶楽部と静岡県の富嶽カントリー倶楽部。
GOLF雑誌などで見ると両クラブともたっぷりと距離があり、広いフェアウエにアンジュレーションがあり難易度の高さが持ち味のようです。
深い森に抱かれたホールは、シーンとした静けさが心地良いけど、広く見通しの効くホールはフワーと体に風を感じて、これまた素敵です。
他の地方で気になるのが、四国の温泉郷に展開する名門コース、奥道後カントリークラブ。
作家柴田錬三郎のために造られた名門コースだそうで、後にも先にも正会員は彼一人なのだと言う。
その辺の詳しい事情はよく分かりませんが、湯の里の名門コースで心惹かれるのは花や木がとても豊富なこと。
この奥道後カントリークラブは春は梅、さくら、木蓮、花桃、夏はアメリカンデーゴ、秋は百日紅、冬は山茶花、椿など四季を通じて敷地内には常に花が満開なのだそうです。
100,000本は下らないと言われる樹木は、すべて植樹だというのだから凄いというべきか驚くべきか。
私は花や木に造詣は深くないがゴルフ場でいろんな木を見るのが好きなのです。
特にクラブハウスのレストランから眺める、林や森がゆっくりと暮れてゆく風景には心が休まり大好きです。
ビール片手にこのままいつまでも眺めていたいと、最も印象に残るのは福島県の白河国際カントリークラブの森でした。
何度見ても飽きる事のない、不思議なほどに魅了される午後の森なんです。
森の奥にヴィーナスや妖精が住んでいるのかも知れない、いつしかそう思うようになっていました。
このゴルフ場を開設したのは(株)成井農林で、のちには北海道を代表する難コース・北海道クラッシックも開設している。
白河国際CCは丘陵というよりは林間コースの趣を持つホールが多く、バックから打つ那須コースはフェアウェイが広く距離もある堂々たるチャンピオンコース。
風呂は弱アルカリ性の天然温泉で、肌がつるつると滑らかになるのが特徴。
コンペを何度も開催しましたがこのコースの天然温泉は、女性に絶大な人気がありました。
改築した新クラブハウスはめったに見られない銅板吹きの屋根を持つ、威風堂々たる和風の建物に仕上がったが、間取りの関係でレストランから妖精の森は見えなくなった。
森は外に出ると見えるが、やはりビール片手にガラス越しに見るのが風情だ。
白河国際CCはやがて成井農林の手を離れて、他社へ渡ってしまった。
森の妖精もどこかへ行ってしまったに違いない。
次章では沖縄を代表する名コースを取り上げました。
琉球ゴルフ倶楽部に吹く風は重い。
しかし、プレーはとっても楽しかった。
女子ゴルフツアー・ダイキンオーキッドレディスで有名な、沖縄を代表する名門ゴルフコースは風格とゆとりが漂う27ホール。
プレーが終わって繰り出した米軍基地内の平凡なバー。
そこで飲んだオールドパーが安くて驚き。
沖縄・琉球ゴルフ倶楽部の風は重いがプレーは楽しい
自然をたっぷり味わったといえば、沖縄県の琉球ゴルフ倶楽部もその一つ。
女子ゴルフトーナメントの開幕を飾る・ダイキンオーキッドレディスで本州のゴルファにもすっかり有名になりました。
ここは風の影響が半端じゃありませんでしたが、12月なのに時折吹く強風が顔に痛みを感じさせなかったのが、なんとも不思議でした。
沖縄の重い風はアゲンストだと480ヤードのパー5が、ナイスショットを三度続けてもグリーンに届きません。
しかも、2打目3打目をスリーウッドで打ってもだから、恐ろしい。
あの風では、何を参考にするとかどんな分析をするべきかなんて、コースマネジメントなど全く役に立たない。
ただひたすら、風に向かって打っていくだけで精一杯である。
一緒に回った航空会社の友人が言う。
「俺なんて、ナイスショットばかりなのに4オンだぜ。
こんな、いいショット続いたのに3オンできなきゃ、いつ3オンするんだよ」
とボヤクことしきりでした。
それでもやはり彼も、ゴルフは楽しいのである。
それが500ヤードを超える同じくパー5がなんと、フォローの強風に乗って3アイアンで2オンですよ。
一緒の組の他のゴルファーも驚いたが、一番驚いたのはショットを放った自分自身でした。
サンゴ礁が固まって出来た島だから地面が固い。
セカンドショットの3アイアンは風に乗ってもちろん飛距離も出たが、何と言っても見ていてびっくりしたのが落ちた後のボールの転がり。
強い追い風でトップスピンがかかったのでしょう、やや下っているサンゴ礁の堅い地面の上を50ヤードは転がり続けたように見えました。
自然の厳しさと恩恵をまざまざと肌で感じたラウンドであり、ゴルフは楽しいけれど沖縄の風の重さをしみじみと噛みしめた一日でもありました。
だが、さすが沖縄ですね、12月にあれだけ強い風が吹いて肌寒さは覚えても、刺すような冷たさは感じません。
関東であれだけの風が吹いたら、もう手がかじかんで耳も頬っぺたも真っ赤になってしまいますよ。
プレー前日に友人が那覇空港に向かいに来てくれた時の気温が24℃だと言っていましたから、考えてみれば冬の沖縄は、芝生も青々としていてゴルフ天国なんですね。
あ、今思い出しましたがあのロングホール、ながーいパットを決めてイーグルでした
レンタルした道具でイーグルなんて、やっぱりゴルフはやめられません。
琉球ゴルフ倶楽部のアフタープレーが楽しすぎて沖縄の夜は短い
この時、沖縄で驚いたのは琉球G倶楽部の風ばかりではありません。
米軍基地内のバーで飲んだスコッチ・オールドパーの値段にもビックリでした。
航空会社の友人から紹介されたのが、彼の沖縄の友人であるグシチャン。
グシチャンはとってもいい奴で、初対面なのにゴルフを1ランド回っただけで、何だかもう何年も付き合いがあるような気分にさせる奴でした。
「グシチャンさん、なんて紛らわし呼びかたはやめなよ。
グシチャンでいいんだよ」
実はグシチャンサン、って呼ぶの、とっても違和感があったので助かりましたよ。
GOLFは人間関係を作るには、とても向いているスポーツです。
通常であれば、ほぼ日中いっぱい一緒に過ごしのですから、必然的にコミュニケーションも生まれます。 初対面であっても、朝クラブハウスでコーヒーを飲みながら挨拶を交わして互いに自己紹介をする。
コースに出てプレーをして昼食を摂って、またプレーに興ずる。 この間、GOLFプレーという共通の話題があるので会話の材料には事欠きません。 互いのプレーに関するキャリアを聞いたり、出身地について尋ねたり、世間話に花が咲いたりと、いろんな話ができてその人間性や性格も少しではあるが分かってきます。
せっかちなのかノンビリ屋なのか、神経質か大雑把なのか、慎重派か大胆か、無口かおしゃべりかくらいのことは1ランド一緒に回るとだいたいの見当がつきます。 それがまた、ゴルフが楽しい理由でもあり特徴でもあるのです。 |
グシチャンは、ゴルフの腕前はなかなかのものでした。
琉球GCは何度も回っているようで、アドバイスが実に適切でした。
まず、キャディーさんにアドバイスさせて、それを補足するようにコースの状況を説明して教えてくれるのです。
始めて回る我々にはとても心強い存在でした。
よくしゃべるが、煩わしさをまったく感じさせない屈託のない明るさが忘れられません。
こういう人と回っているとゴルフが楽しい。
彼は仕事の関係で米軍基地内の居住区域は、夜でも出入り自由なのだ。
あの若さで株式会社を設立し、会社の社長であったが、米軍もしくはその関連とどんな契約内容のビジネスをしているのか、などの詳細には互いに触れなかったのだ。
門番に近寄って英語で何か話していたが、すぐに
「OKだ、さあ、中に入ろう」
と私たちを促す。
門を入ると少し歩いて、古びた建物の中へ入っていく。
薄暗いコンクリートの廊下にアメリカ人らしい、若い女性がしゃがんでいた。
「奴らは本当に不愛想なんだよ。
日本人とみると平気で嘘もつくし」
そう言いながら彼はあえて得意のEnglishを封印して、そのアメリカの若い女に日本語で聞くのだった。
「〇〇〇は今日やっている?」
「ノー、キョウヤスミ」
回答は予想通りであった。
「嘘だよ、米軍は土曜日休みだけど飲み屋はやっているはずだよ」
そう呟くように言いながら、我々を促して建物の奥へズンズン入って行く。
面白い男である。
この辺の女は日本人に対して嘘つきであることを証明して見せるために、彼はあえて訊ねているのだろう。
彼、グシチャンは決して反米でなければ、アメリカ人嫌いでもなかった。
会ってからそれまでの彼との会話で伝わってきたのは、彼はむしろ米軍にはとて感謝している様子だった。
彼は私と同世代だから、戦争を体験していなので戦中、戦後の米軍についてはおそらく親や学校など周囲から聞いているのであろう。
一日中一緒にいて、米軍や旧日本軍の沖縄での行動について彼は実に細かく教えてくれた。
私も初めて聞くことが多く、とても勉強になったのでした。
バーは古い建物の奥まった場所にあった。
カウンターだけの狭い店は、客も酒を売る方もすべて白人であった。
軍人以外の職業の人もいるのであろうか。
日本人の我々には、しかし誰もさしたる興味を示す様子もなかった。
カウンターはもう、満席に近い状態だったが、喧騒が渦巻いているわけではなかった。
皆、秩序正しく酒を酌み交わしているのだった。
つまみのメニューはポテトチップスかソーセージくらいしかないということだったので、チップスを頼んだ。
飲んだのは、スコッチのオールドパー。
私の若いころは田中角栄が愛飲することで有名になり、あこがれの高級スコッチである。
ボトルをキープするという概念はないらしく、ワンショットずつ水割りを作ってもらうのである。
男3人で何杯飲んだであろうか。
別にたいしてハシャグわけでもないのに男三人の沖縄の夜は、なぜかとても楽しく過ぎていった。
一般人個人がそうたやすく利用することができない、米軍内のバーで貴重な体験ができたのである。
そんな日常とは違う世界を覗いた高揚感もあって、いつまでも飲んでいたい雰囲気だったのだ。
沖縄はゴルフも楽しく、夜も楽しい。
しかし、閉店は午後10時である。
「ここの料金の安さには驚くよ」
グシチャンが言っていた通り、あれだけ飲んで2000円は行かないのだからホントに驚きである。
お金はグシチャンが払ってくれましたが、3人合わせてあの価格とは。
それにしても、グシチャンも彼を紹介してくれた私の友人も実にいい男だ。
もう何度もプレーをしたことがある仲間同志のように酒はススミ、話も弾んだのであった。
ゴルフは楽しい、されど米軍基地のバーも愉しいのでした。
この日の沖縄の夜は、静かに平和に更けていくのでした。