千葉真一さんが亡くなられたのは2021年8月19日のことでした。
82歳で逝ってしまいましたが、とても80歳を超えているとは思えないほど若々しかったのに、本当に残念です。
俳優にとって『肉体は命』が千葉真一の信念だった!
亡くなられるわずか1ヶ月前にある雑誌のインタビューを受けています。
その中で千葉真一さんは、このように言っていました。
「俳優にとって肉体は命です。屈強な体がなければ、よい演技はできません。
だから、アメリカの俳優は体を鍛えます。
でも、日本の俳優で本格的に身体を鍛える人はまだまだ少ない」
そして、このように結んでいます。
「私の身体は頑丈だ。まだまだ俳優としてやっていける」
しかし、それからわずか1月後にコロナで入院しあっという間に、帰らぬ人となってしまったのです。
最初の奥さんは野際陽子で二人の息子が千葉真一のDNAを継ぐ!
大女優だった野際陽子さんは最初の奥さんで、二人の間に生まれたのが、女優の真瀬樹里。
そして、再婚した奥さんとの間には二人の息子がいます。
今、活躍中の新田真剣佑に眞栄田郷敦です。
芸能一家ですから彼のDNAはこの二人を中心に、間違いなく引き継がれることでしょう。
千葉真一は日本で唯一無二のアクションスターだった!

千葉真一さんはよく『日本を代表するアクションスター』と表現されますが、これは少し間違っていると思います。
彼は、日本において唯一無二のアクションスターでした。
アクションの革命児とも言える存在です。
千葉真一さんは1968年からTBSで放送された『キイハンター』に出演します。
このドラマで見せた彼のアクションはテレビファンの度肝を抜きました。
千葉真一さんが演じたのは国際警察特別室特殊スタッフの一員である風間洋介です。
この男の行動がスゴイ。
なんと猛スピードでひた走る列車へ、トンネルの上から飛び乗ってしまうのですから見ている方はビックリ仰天です。
そして、列車の上で犯人と猛烈な格闘を繰り広げます。
一歩間違えばひたすら走り続ける列車から、真っ逆さまに転落して当たり前の危険な演技です。
列車の屋根での格闘シーンが初めてなら、スタントマンを使わずにスター俳優本人がこんな危険な場面を演じるのも日本初でした。
この他にも視聴者をハラハラさせるシーンには事欠きません。
深い渓谷を行き来するロープウェイにワイヤを投げてぶら下がり、そこからよじ登るカットもあります。
列車同様にバスに飛び降り屋根での格闘シーンは、毎度おなじみと言えるほどでした。
自動車から並走する軽飛行機に飛び移る場面など、息を飲むシーンを連発したものです。
雪渓を転がり落ちて滝の前でギリギリストップしたと思ったら、息もつかせず今度は犯人と格闘ですから本当に見ごたえがありました。
このようなスリル満点のドラマ『キイハンター』は、つねに視聴率が30%を超えます。
1年の予定が5年に延長された『キイハンター』
『キイハンター』が1年の放送予定を5年に延長されたのは当然です。
危険なアクションシーンは千葉真一さん本人が演じています。
スタントマンなしです。
したがってケガも絶えませんでした。
小さな怪我は、ほぼ毎回ありました。
左足首の骨折もしたし、日本刀で腕を斬られたこともあったと言います。
こんな調子ですから視聴者の度肝を抜いたのは当然のことです。
それまでのアクションと言えば、殴る蹴るが中心で狭い範囲での喧嘩シーンが主流でした。
そのイメージを大きく変えたのが、千葉真一さんのアクションだったのです。
後年、彼はこのドラマの撮影を振り返り、次のように言っています。
「あのときは文字通り体当たりでね。
何せ僕以外にあんなことはできないわけだから。
でも、僕が日体大出身だったからできたことです」
日体大時代、怪我で体操を断念し俳優の道に!
千葉真一さん本人が言っているように日体大で体操選手だったことを抜きに、彼のアクションを語ることはできません。
千葉真一さんは1931年1月22日、福岡県福岡市博多区で生まれました。
4歳の時に千葉県君津市へ転居します。
中学生になると器械体操を始めるのですが、夢はオリンピック出場です。
高校は千葉県立木更津一高へ進学し、器械体操を続けます。
1年生で全国大会に入賞を果たし、3年生になると全国大会で優勝を成し遂げたのです。
1957年には体操の名門、日本体育大学体育学部体育学科に進学しました。
オリンピック出場も有望視された彼の運命が暗転するのは、大学2年生の時です。
跳馬の練習中に着地で失敗します。
腰と両膝に大きなダメージを受けてしまったのです。
練習とアルバイトの掛け持ちが身体に大きな負担となっていたこともあり、医者から「1年間の運動禁止」を宣告されてしまいます。
1年間の運動禁止宣告は体操選手をやめろと言われたも同然でした。
休学も検討しましたが、アルバイトもできないので学費を工面できません。
退学を決断します。
失意のまま君津へ帰ろうとした彼が代々木駅で見たのは『東映第6期ニューフェイス募集!』のポスターでした。
2万6千人が応募した中でトップの成績で合格を果たします。
1年後の1960年1月7日にはテレビドラマ『新 七色仮面』の主演でデビューを飾りました。
このように千葉真一さんは、役者としての下積み期間はほぼありません。
それまでのアクションスターで柔道や空手の有段者はいましたが、器械体操のプロは誰一人いなかったのです。
その特技を生かして、彼はスターへと駆け上って行きます。
ただ、その前に彼の気持ちの切り替えの早さに注目すべきでしょう。
オリンピック出場の夢は露と消え、体操選手を続けることさえままならなかったのに彼は腐ることもなく、すぐに気持ちを切り替え俳優を目指します。
この決断の速さとためらうことのない行動力が、千葉真一さんにとって最大の武器だったのです。
あの切れの鋭い俊敏なアクションは、日体大で学んだ体操の技術と本人の性格によって生まれたと言えるでしょう。
彼は日体大で体操競技に打ち込んだことをとても誇りにしていました。
その気持ちが通じたのでしょう。
2013年3月10日には日本体育大学から、正式に卒業証書を授与されました。
千葉真一は器械体操プラス武道の習得で無敵となった!
千葉真一さんは俳優として活躍の傍ら武道を学びます。
少林寺拳法や極真空手に精力的に取り組みました。
器械体操に拳法や空手が加わるのですから、アクションスターとしてはまさに鬼に金棒です。
このような強力な武器を携えて、やがて彼は時代劇に挑戦します。
映画の時代劇において強烈な存在感を発揮したのが深作欣二監督の『柳生一族の陰謀』です。
千葉真一さんはデビュー間もないころから深作欣二さんとコンビを組み、大きな影響を受けています。
「役者はどんな役にも対応できるよう身体の鍛錬が必要だ。 肉体は俳優の言葉だ」
若い頃深作欣二監督からこのように言われそれを実践し続けたのが千葉真一さんです。
『柳生一族の陰謀』では柳生十兵衛を演じますが鍛え上げた肉体での殺陣が見ごたえたっぷりでした。
最大の敵が成田三樹夫さん演じる公家の烏丸少将です。
烏丸少将の演技がまた素晴らしい。
「おじゃる」言葉を使って一見、物腰はやわらかいが、一皮むくとニヒルで冷酷、そして公家には稀な凄腕の剣術使いです。
ラスト近くでは1対1の死闘を制して、千葉さん演じる柳生十兵衛が「ふー」とため息をつくシーンが実にリアルでした。
千葉真一がキアヌ・リーブスに尊敬される理由は?
時代劇で共演したことのある的場浩司さんは言います。
「ため息と笑顔がとても似合う方でした」
時代劇でも彼のアクションは改革をもたらしたのです。
『柳生十兵衛七番勝負』で共演した村上弘明は言います。
「旧来の立ち回りに変革をもたらした人です。
特にアクション、殺陣の分野において曲芸的なもの、よりショーアップしたものを取り入れ、アクションを創り上げた人でした」
『源義経』で共演した東山紀之は驚嘆しています。
「千葉真一さんは時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方なんです」
「今、世界中の映画で行われているアクションものは、実は最初に千葉さんがお考えになったものです。この功績は凄いです」
『戦国自衛隊』も素晴らしかったですね。
この映画では千葉真一さんが子役時代から可愛がってきた真田広之が飛行中のヘリから飛び降りるシーンがありました。
とても危険極まりないシーンです。
これに関して千葉真一さんはこのように言っています。
「真田君に万が一のことがあったら、僕も死のうと心の中で決めていました」
派手なアクション男は、弟子思いで実はとてもやさしかったのです。
千葉真一さんはサニー千葉の名前で『キル・ビル』などハリウッド映画にも出演し、アメリカではとても有名でした。
そんな彼に子どもの頃から憧れていたハリウッドの大スターがいます。
『スピード』『マトリックス』など、アクション映画の主演で知られるキアヌ・リーブスがその人です。
「サニー千葉は僕らアクション俳優なら、誰でも尊敬しているんじゃないかな。
彼はアクションスターで主役という、ひとつの基本を作った人だよ」
あの、キアヌ・リーブスから最大の賛辞を贈られるのが、千葉真一さんです。