半沢直樹が絶好調!脳裏によみがえる伝説のバンカー

キャッシュカード ビジネス

『半沢直樹』、令和の新シリーズも絶好調のようですね。

毎回、22%を超す視聴率だというから凄いの一言。

 

『半沢直樹』『倍返しだ!』

と聞けば必ず脳裏によみがえる男がいる。

 

その名『兼定大二郎』

私には忘れがたい伝説のバンカーだ。

 

兼定大二郎の『復活』と『倍返しだ!』を振り返ってみたい。

あなたもきっとワパーをもらうはずだ。

私は一緒に泣いた・銀行の非情と理不尽に

ハート

私と兼定大二郎は新宿西口のバーカウンターで肩を並べて焼酎の水割りを飲んでいた。

「なんで俺が、あいつらの不始末の責任を取らされなくちゃならないんだ」

 

深夜12時を回っていたこともあり、バーに他の客はいなかった。

カウンターの向こうでは和服姿のママが二人の話を真剣な面持ちで聞いている。

 

途切れ途切れに絞り出す、S銀行兼定次長の声が静かな店内に異様に響いた。

その日は6時間以上も前から二人っきりで食事をし、酒を飲んでいた。

 

話すのは9割が次長で私は相ずつを打つのが精いっぱいだった。

負けず嫌いの男の言葉には無念さ、やりきれなさが滲んでいた。

 

それまでの2軒の店では他人の目を気にして堪えていたものが、他に客がいなくなったこのバーではとどめようがなかったのだろう。

 

明らかに泣いている、頬を伝う涙が暗い照明の中で光っていた。

思わずこちらも目頭が熱くなった。

 

兼定大二郎がなぜこれほど悔しいのかは、痛いほど自分にもわかる。

銀行という大組織、日本の産業界の中心をなす企業の非情、理不尽に私は慰める言葉もなかった。

 

というか、なぜそこまで責任が及ぶのか、中小企業の経営者には容易に事態が呑み込めない。

どのようなロジックでそうなるのか、理解不能の人事だった。

 

この前日、S銀行H支店の兼定次長は突然その職を解かれ、子会社へ部長として赴任するよう命じられたのだった。

 

話は2ヶ月ほど前に遡る。

朝9時を少し過ぎたばかりだったが、兼定次長の前任者K氏から電話が入った。

 

銀行の本部にいるので社員食堂で飯を食おうというのだった。

それにしても、いつも明るく元気なK氏にしては電話の声が小さく力がなかった。

 

K氏は受付で待っていた。

食堂で向き合って話し始めてすぐに声が小さい理由と1時半という時間設定の意味が分かった。

 

ありていに言えば彼は謹慎中の身であった。

人目を避けたかったし、特に外部の人間と会うのは慎重さを求められているようだった。

 

S銀行H支店の現次長が伝説のバンカー兼定氏で、その前任者がK氏だ。

K氏が次長職に在った時の行員による不祥事が、転勤後に発覚し本部へ呼び戻されたのだという。

 

しかも、2件立て続けであったから、Kの表情からはあきらめが感じ取れた。

・妻子ある行員が赤坂のクラブに勤める外国籍の女に入れあげてサラ金から600万円の借金

・営業部の行員が担保未設定で数千万円の不正融資

 

ちなみにこのK氏は超の付くエリート行員だった。

金融業界に幅広い人材を輩出し、OB会が絶大な力を持つ名門大学を卒業し、人当たりはソフトであるが切れ者だった。

 

支店から転勤になるときは多くの女子行員が泣いたと、若い行員から聞いたことがある。

人望も申し分なかったのだ。

行内一の出世頭で、早期の支店長就任が既定路線だった。

 

不正融資は監督者として責任を問われるのは当然であるが、行員がサラ金から借金したことに対してまで上司失格の烙印を押されるとは釈然としない。

 

私は2度まで聞いた。

「その行員は銀行の金には手を付けていないのですよね?

それで上司の責任とは・・・・・・」

 

「それが銀行なんだよ、社長」

彼は力なく答えるばかりだった。

 

不正融資は如何ともしがたいのでエリート行員K氏も観念せざるを得ないのだろうが、この話これで終わらなかった。

 

後任の兼定次長までその懲罰が及ぶのだから、銀行とは不思議な組織だ。

すべては兼定氏が就任する前の事件だ。

 

「なぜ、自分まで詰め腹を切らされるのか?」

悔しいだろう、無念だろう、残念極まりないだろう。

これこそ理不尽といわずして、何と表現すれば良いのか。

 

この事案が発覚した当初から、自分にも何らかの処分はあるだろうと兼定氏には覚悟があった。

長年の勤務経験から、銀行とはそういう組織であると認識していた。

 

慣例から見て始末書とか厳重注意レベル。

最悪、地方支店への転勤だったら受け入れようと思っていた。

 

だが、予想だにしなかった子会社への左遷だった。

しかも直接の管理者であるK氏は閑職とはいえ、行内に残ることになった。

 

これがなお許せなかった、我慢ならなった。

名門大学出身のK氏は学閥を最大限利用して行内に残った。

 

対して、兼定氏は名もない大学卒からの叩き上げだった。

「俺は悔しい、銀行を見返してやりたい。

人事部長に今すぐ辞表を叩きつけたい」

 

私はテレビドラマは全くと言っていいほど見ない。

5年間テレビを家に置かなかったので、必然的に見なくなったのだ。

 

だが、東京の友人から面白いので見て置け、と言われて最初のシリーズの再放送を何度か見た。

あのドロドロ劇を見ると銀行ならあり得ない話じゃない、と兼定氏とK氏を思い出すのだ。

 

私は両者ともに人間としては好きだったし、とても目をかけてもらって今も感謝している。

だが、細かい理由は割愛するが、K氏と食事をした後すぐに兼定次長から電話があった。

 

二度とK氏には合わないでくれと言われたのだ。

その後は向こうからも連絡はなく、音信不通となった。

 

さて、私とバーのマダムの説得が功を奏したかどうかは不明だが、兼定氏は子会社へ行くことを選択した。

 

そして、ここから伝説のバンカーの道のりは始まったのだった。

しかし本当に復活劇を演じて、倍返しするとは、この時点では夢にも思わなかった。

半沢直樹と伝説のバンカー・兼定大二郎の共通点

復活

『縁は異なもの』とか『袖すりあうも他生の縁』というが、縁とは本当に不思議なものだ。

あのような縁で伝説のバンカーと再会するとは。

 

兼定氏が左遷されたのは、バブルの象徴とでもいうべき『ノンバンク』。

親会社である銀行や生保に代わって、不動産、証券などを担保にした貸付専門の金融機関だ。

 

バブル期のゴルフ会員権相場高騰もノンバンク抜きには語れない。

私も生保系のノンバンクからは相当な額を借り入れていた。

 

兼定氏がノンバンクへ出向してからは、明らかに銀行時代に比べて疎遠になっていた。

だが、意外なことで付き合いは復活した。

 

世間は狭いというか、人の縁は大事だというべきか。

あなたにもきっとあったでしょう。

縁は異なものと思わずにはいられなかったことが。

 

栃木県で事業を展開する社長から電話がかかってきた。

「千葉さん、S銀行の兼定さん知ってる?」

 

何といつの間にが銀行に復帰したらしい。

しかも、栃木県内の支店長として。

 

栃木県の(株)Aは長男が会長、次男が社長をしていて、兄弟そろって月に1度のペースで東京へ出て来た。

 

その時は、よほどのことがない限り一緒に食事する間柄だった。

ゴルフ場も経営していたので互いの情報は貴重だった。

 

電話は次に上京する予定の打ち合わせだったが、兼定氏の話題が当然出るだろうと思いワクワクするほど待ち遠しかった。

 

ビールを一気に飲み込むと社長が堰を切ったように話し始めた。

取引きはなかったが兼定氏が支店長の着任挨拶だといって、飛び込みで尋ねてきたのだという。

たまたま、兄弟そろって在社していたので二人で対応した。

 

型通りの挨拶を交わし簡単な世間話を終えて、支店長が帰ろうとして立ち上がった。

応接室のドアの前で二人に聞いた。

 

「ところで、御社はゴルフ場も経営をしているようですが、東京の日本橋でゴルフ関係の仕事をしている千葉さんを知りませんか?」

 

「ええっ、支店長は千葉さんを知っているの?」

そこでもう一度、席に戻って話をし直したのだという。

 

それからは4人でよくゴルフに興じたものです。

時には軽井沢周辺のゴルフ場でプレーした後、会長が保有する別荘に宿泊することもありました。

 

この兄弟が経営する会社はその後、兼定支店長の銀行に10億円以上の預金をするまでに取引を拡大してくれたのです。

 

10億円の預金がある顧客企業に対して、東京本店の役員が月一回食事に招待する習慣がS銀行にはあった。

 

何度目かに招待されたとき、食事を摂りながら会長が銀行の常務に尋ねたのだという。

「兼定さんのように子会社に出されてから復帰し、支店長まで行った人は他にいますか?」

 

「私の記憶じゃありませんね。

おそらく、銀行始まってい以来じゃないですかねえ」

 

ノンバンクでの実績が半端じゃなかったとも教えてくれたのだとか。

実力で復活を果たしたのだ。

 

辞表で顔を引っ叩いてやりたかった人事部長に見事、倍返し!したのだ。

兼定大二郎を伝説のバンカーと呼ぶゆえんである。

 

この支店長は会社が倒産した後も私に付き合っていくれた、唯一のバンカーでもあった。

半沢直樹との共通点は、左遷そして復活だろう。

 

人事が一番面白いと私に言ったのは、日本で最も大きな化学会社の部長だ。

サラリーマンにとって人事は一番の関心事なのだろう。

 

あきらめなければ復活だって叶うことを伝説のバンカーが遺してくれた。

ある年の12月、一通の喪中ハガキが届いた。

 

『享年67歳』と書かれていた。

私は復活を身をもって示してくれた『伝説のバンカー』を決して忘れない。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました